▼お告げさん:
>小笠原事件を知っていますか?
参考資料:小笠原事件史(抜粋)
昭和20年2月23日から25日にかけて、小笠原諸島の父島に配備されていた陸海軍の混成団の一部将校らが米軍の捕虜を殺害して人食していたことが戦後の東京裁判BC級の公判で明らかになった。
小笠原諸島は東京市(現在東京都)に属し、南に約200キロにある島で父島を中心に大小の島からなる。当時、東京市の防衛の要であった硫黄島と東京市の中間にあり、軍需物資を中継する重要な島だった。
このため、大本営も従来の父島要塞司令部を改編し陸軍は混成第一旅団(5個大隊を基幹)など約9000人、海軍は通信隊など6000人を再配備した。
米軍の機動部隊は、前年の昭和19年7月にサイパン島を攻略し日本守備隊が玉砕。このサイパンを最前線基地として連日、東京への空爆を行った。大本営は米軍の次の目標は硫黄島とみて、父島に約15000人からなる部隊を配置したのだった。
同年8月31日から9月2日にかけて、いよいよ父島に対する空爆が始まった。米空母からアベンジャー爆撃機が次々に父島に向かって出撃していった。一方、父島守備隊は高射砲や機関砲で応戦し5機の米軍機を撃ち落した。
この内の1機が後の第41代米国大統領となるジョージ・ブッシュ中尉だった。ブッシュは、からくもコックピットから脱出してパラシュートで離脱。
その後、味方の潜水艦に救助されたが、同乗していた2人の乗組み員は行方不明となった