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同性愛者やAセクシャルの人達は確かにセクシャル・マイノリティかもしれないけど、子供が産めるって、そんなに大事なのかなぁ。
人間は種族を増やし過ぎたからそういう人間を生み出したという意見だとか、
いわば俺達は「あぶれ者」だという意見をよく見かけるけど、
同性愛自体、別に問題になるほど人が居ない江戸時代にも普通にあった。
分かりやすいたとえでは新撰組とか、小姓とか。
なのに今こんなに騒がれて、性ってそんなに重要なのかな?
性は人を殺す事もあるし、活かす事もある。
じゃあそもそも人の死というのはそんなに重要?
形あるものいつか壊れる。生まれたらいつか死ぬ。
それは動物でも同じだし、自然の理だから、哀しいという感情は別にしても
「普通」の事だよね?
「哀しい」と「重要」をごっちゃにしている気がする。
ひょっとしたら今の同性愛否定は団塊の世代の所為なのかなぁと最近思っています。
戦争によって人がどんどん死んで、子作りが必要となった人達が
同性愛を否定し、それが団塊の世代に受け継いでいったのかなぁとも思います。
そう考えるとやっぱり憎むべきは戦争なのかなぁ・・・とも思ったり。
皆さんはどう思いますか?
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確かにおっしゃる通り江戸時代まではとりわけ武士の中に修道(だったかな?)といった同性愛が公然と存在していたと思います。ただ、それが人々の中でいわゆる「普通」であったかというと…正直疑問です。また修道は武士が戦場に女性を連れていけないから、つまり「仕方なく」性欲の解消に代わりとしてかわいらしい男の子を連れていったという事実があり、いわゆる生粋の同性愛だったかというと多少はずれるのではないか、と思います。また人が亡くなるのは確かに必ず訪れる事だとは思いますがとても「普通」であるとは私は思えません。人は本能だけでなく感情を持っている以上、哀しいことと重要であることは同一ではないにしろ必ず関連性のあるものではないのかな?と思いました。普通である、と考えてしまうことにちょっと違和感を覚えます。個人的には今も昔も同性愛に対する人々の価値観は大して変わっていない気がします。先にも述べましたが江戸時代まででも公然とあってもそれが肯定的に存在していたかというと違います。まぁそういう趣味の人もいるよね、といった感じのものでそれほど現在と変わりはないのではないでしょうか?とりたてて同性愛に対しても情報が大量に、しかも速く伝達できるようになり、前より人々の「今まで通りの意見」が外に出るようになったからバッシングが強くなってきているように感じるのかなぁ?と思います。もしご指摘いただければ幸いです。
<DoCoMo/2.0 P902iS(c100;TB;W24H12;ser357664003193648;icc8981100000355250335F)@proxy3115.docomo.ne.jp>
ご意見有難いです。
江戸時代については、そういうものもあったし、純粋な興味からの同性愛行為というものもあったし、同姓恋愛というのもあったらしいです。
ただ、やはりその時代にも否定感情を持つ人は居たでしょうしバッシングをされてないということはないと思います。
けれど、今程ではないと思います。
江戸時代の事を勉強している人からは「同性愛は普通だった」と聞くし、個人的に詳しく調べた訳ではないので明確な事は言えませんが(不勉強ですみません・・・)、生粋の同性愛者、というのは居たと思いますし、その上での恋愛も当然あったと思います。
けれどそれを責める人やそれだけで身分を剥奪されたり、という事はなかったと思います。新撰組にも男色家が居ましたから。
だからこそ「普通だった」という印象があるのでしょうし、江戸時代の人々はきっと寛容だったんだろうなぁと思いました。
人が亡くなる、という事についてですが、人が死ぬとやっぱり私も哀しいし、その話で笑ったりは出来ません。
当然遺族の方にはお悔やみ申し上げますし、出来るだけ力にもなりたいと思います。でも、それは、人として「当然」の事であって、そうする事が特別ではないと思うんです。
死ぬのも生きるのも当人の自由です。
周りの人には迷惑がかかるでしょうが、やっぱり自分の命は自分が握っていると思います。
だからこそ私は、死を重要だと思いたくないのです。
冷酷な人間だと思われるでしょうが、やっぱり、人間だって動物である事に変わりはないし、死というのは重要ではないと思います。
伝わりにくい文章で申し訳ないです。
つまり私は、ポジティブな意味での重要はあるけれど、ネガティブな意味での重要はないと思うんです。こう言えば伝わるでしょうか。
こちらこそご指摘居いただければ幸いです。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
丁寧なご返信ありがとうございます。うーん、なるほど…空汰さんのお考えを聞いて考えたのですが、おそらく「誰」にとっての死か、で捉え方が変わってくる気がしました。もし自分自身について「だけ」の死ならば当然確実に来ることですので空汰さんのおっしゃる通り特別に、重要に考える必要はないのかもしれません。ただ、遺族であったり自分の愛する、自分の死に悲しんでくれる人たちにとってはやはり「自分の死」という出来事は特別悲しい日であるんだろうと思います。であるならば、これは個人的な気持ちですが私は当然そういった方々を悲しませたくないし、またそういった方々ともっと長く一緒にいたいと思います。つまり死というものは周りの人々にも影響を与えるものであり、自分自身について「だけ」の死などないのかなぁ、と思うのです。従ってそう考えると誰に対しても死という言葉、出来事に特別な意味が出来て来る気がします。ここらへんの話を掘り下げていくと空汰さんのスレの内容からはずれていく気がしますがもう少しだけおつきあい頂ければ幸いです。
また江戸時代までについては確かに生粋の同性愛者はいたと思います。これは私の不勉強です。すみませんでした。ただそれは江戸時代の人々が寛容というのではなく、当時はいわゆる自分の周りの「権利」(普通の生活をする権利や普通に働く権利とか色々)に対する考えというのがまだ発達していなかったというのが原因ではないか、と思います。おっしゃる通り確かに新撰組にも武田観柳斎(たしかこんな字だったような気がするのですが…)という隊長が同性愛者で有名ですが、やはりそれは新撰組隊長という組織の幹部だから公然と仕方なく認められていた、という「だけ」の話だと思うのです。つまりそこには周りの、武田に影響を与えられそうな人達の生活に対してとか、仕事に対してどの程度影響が及ぶか考えられていない、すなわち今ほど「社会権」という概念自体が確立していないから同性愛に対しても寛容というよりは野放し的な状況になっていたのではないのでしょうか?やはり現在同性愛者だからという理由で職場からおいやられてしまう、身分を剥奪されてしまうというのは周りに対する影響を考えた上でのこと、つまり周りの人々の社会権を考慮された結果だと思うのですよ。こういう言い方はしたくないのですがやはり同性愛というのは万人にあるものではない、特殊なものですから。周りの人々に与える影響というのも少なからずあると思うのです。江戸時代はそのような考え方自体がなかったことが大きな要因かなぁ、とあくまで推察ですが思いました。であるならばやっぱり同性愛に対してだけのの意識については大して変わっていないのではないか、と考えてしまいました。ほんとしつこいのですがこちらについてもご指摘頂ければと思いますのでどうかよろしくお願い致します。
<DoCoMo/2.0 P902iS(c100;TB;W24H12;ser357664003193648;icc8981100000355250335F)@proxy3109.docomo.ne.jp>
どうやら…私ふられちゃったみたいですね(^-^;
なんかだらだらとしたワケわかんない文で噛みついてるみたいですみませんでした。
ただ私が言いたかったのは、この言い方は空汰さんには不本意かもしれませんが、むやみに昔を良く言って今の環境を悪く見て嘆くよりも、いかに今の環境に対して自分達がポジティブに考えられるか、が大事な気がしたのです。今の環境、それほど悪くないと思いますよ。こうして私達は掲示板を通して、それ以外にも自分達の意見を外に発信しているではないですか☆
昔では考えられなかった事でしょ?今の現状に歯がゆい、という方はたくさんいらっしゃると思いますが、それほど嘆くような現状ではないかな、と考えます。確かに同性愛というのは確かに中々理解されづらいものだと思います。でもそれは周りが悪いとか、私達が悪いとか、そういう問題ではない気がするのです。
理解されないから周りが悪い、環境が悪い、というのではなく、こうした環境の中で自分自身がいかにして自分らしく、人間らしく生きてくか、と考えることが重要ではないかな?と偉そうですが思ってしまいました。私達は同性愛者である前に一人の人間ですし、なるべくではありますが冷静である時くらいは前向きに今の環境を生きれたらなぁ、と考えます。
なんだかえらく抽象的な文ですみません!!ただ人間気の持ちようですし、前向きに考えれたらまたいい考え、行動が生まれてくる気がします。偉そうかもですが空汰さんとお互い前向きな気持ちでこれからも建設的な感情を共有していければ、という風に思い述べさせて頂きました。おそらく私の勘違い等色々空汰さんには不本意な意見であるかな、と思います。不愉快にお感じになられたのでしたら本当に申し訳ありませんでした。
では、失礼致しました。
<DoCoMo/2.0 P902iS(c100;TB;W24H12;ser357664003193648;icc8981100000355250335F)@proxy388.docomo.ne.jp>
二人のやりとりを見て俺も意見を言いたくなったので投稿しました。
俺は、やっぱ子供を産むのは大切なことだと思います。なぜなら、私たち人間は自然の一部だからです。子供を産む事を重要としないと仮定するとしたら、そのうち人間が地球上からいなくなってしまうでしょう、そしてそれは、今ある自然システムが崩れてしまうことを意味します。自然界というのは連鎖的なものです。つまり、どこかが欠けると他の部分にも影響が出てしまいます。これを、とある評論家は『負のフィードバック』と表現しています。しかし、大量のストックと余裕があれば、なんとか他の生物は生きられます。つまり、宇宙空間で小さな地球を作ると言うことはとても難しいことなんです。なぜなら、宇宙空間には余裕やストックが無いからです。しかし、地球もよく考えてみると限りある資源なんです。その中でも、人間というのは大きな役割を果たしています。地球上から人間が消えてしまったら、この大きな穴をカバーするには少し無理があると思います。皮肉なことに、人間はこのデリケートな自然界の一部であると同時に自然界を破壊する生き物です。だから、私たちは自然のことも考えなければならないのです。
同性愛が批難されるようになったのは、科学や技術、文化が発展したからではないでしょうか??世界の歴史を見ると、どこの国でも男女との交わりというものは不純なもので、男同士というものが潔白だとされていました。しかし、段々と自然の摂理を理解し、人間についてもよくわかってきました。その中で、段々と男女との交わりが普通なことだと考えたのだと思います。そして、それらの情報が技術革新によって広がり、現在のようになったんだと思います。
とは言うものの、同性愛だって普通のことだ、と主張されています。これも、近年人間についての研究が進んだからです。性についてより新しいことがわかってきたのです。実は、男性器、ペニスと女性器、クリトリス、これは全く同じものなのです。精巣と卵巣も同じものなんです。ただ、お母さんの胎内の中で雄性ホルモンが分泌されたか、黄卵ホルモンが分泌されたかで形が変わっただけなんです。だから、性器で男女を分けるとするならば、同じはずなんです。そういう訳で、同性愛と言うのも普通だと言うのです。
また、世界は2つの性でできてはいないのです。いわゆる、ISの人たちがそーです。こう言ったことに対しても、また、同性愛に対しても、誤解や偏見を生まないようにするためにも性教育というのは重要なのだと思います。
生と死。
これはとても難しいことです。俺自身、結局生きるも死ぬも人の勝手だし、形あるものいつかわ朽ちるからしょうがないと思います。しかしながら、だからと言って命が重要では無いとは思いません。なぜなら、命は決して個人のものであってそうではないからです。意味わかんないですね…ワラ
命は与えられた物であることを忘れないで欲しいと思います。人から与えられたものは有効に使うべきで、無駄にしてはいけないと思います。命は、父母から与えられたのです。そして、その命は両親が必要として作ったものです。だから、個人のものでは無いのです。しかし、人間は考え、自分で自由選択できるので、その点で個人のものなのです。これらをまとめると、個人のものであった個人のものではないのです。そして、私たちは他人の物を盗んだり、奪ってはいけないと今日まで教えられてると思います。だから、命を大事にしよう、と教えられているのだと思います。
長くなりましたが、この意見に対して何か言ってくだされば、俺の世界もまた広くなるので、是非感想や意見など下さい♪
<sage>
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>*また長文T/T何をいいたいすか!?人間は自然の一部なら自然体で人生を選択していいじゃないすか?結婚しない僧侶になった方も問題あるすか?
<DoCoMo/1.0/SO505i/c20/TB/W21H09/serNSOFA315932@proxy1130.docomo.ne.jp>
わかりにくい文章ですみません。
確かに論じてるうちにまとめの部分が少しずれてしまいました。
えっと…
その部分で論じてる主題は『子供を産むのが大事であるか、そうでないか』なのです。結論から言うと、俺に関して言えば、子供を産むことは重要であると考えています。
かがみさんの言うとおり、人間は自然の一部なので自由に選択して生きればいいと思います。
俺が主張しているのは、もし子供を産むことが重要でないとしたら、そうなってしまう、と言うことです。
やはり、重要だから多くの人が子供を産むんだと思うんです。
しかし、中には子供を産まない人がいても別に問題は無いと思います。
先の話しでも言ったようにストックがあれば、それでまかなうことができます。人間の場合は、産まない人たちよりまだ産む人たちの方が多いのでストックがあります。だから、問題にはならないと思います。
<SoftBank/1.0/910SH/SHJ001/SN353677010484846 Browser/NetFront/3.3 Profile/MIDP-2.0 Configuration/CLDC-1.1@wtl7sgts55.jp-t.ne.jp>
済みません。私の生活環境では月曜〜木曜にかけてPCを触れない事が多いので
返信が送れてしまいました。
その事で貴方を傷つけてしまったようですね。申し訳ないです。
勿論よーすけさんの仰っている事は正論だし私もその通りだと思います。
けれど、同性愛を否定する、というのは私にとって絶対的に許せない事であって、
また、同性愛者が自己や自己を投影したゲイ全体を否定するのも許せないのです。
私個人や、よーすけさん個人だとその意見はまったくその通りなのですが、
そういった人々に対して私は戦い続けていきたいと思っています。
論点としては不相応だったかもしれません。重ね重ね申し訳ないです。
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意見有難う御座います。
上の二つの意見に関しては、特に反論はありません。
俺個人が納得してしまったので・・・(笑
生と死、についてですが、
私が言っているのは「命が重要ではない」という意味ではないという事。
命は凄く重要だし凄く大切ですが、死は、重要ではないと思うんです。
大切な人が死ねば哀しいし、忘れたり乗り越えたりするのは難しいし、
いつまでも記憶の中に刻み込まれるものですが、やはり、それを
重要に結びつけるのは嫌なんです。
死をいつまでも追悼し、亡くなった人に敬意を示すのは大切です。
そういう意味では重要です。
ただ、死に縛られて、大切なものを見失ったり、死に拘って今を捨て去ってしまうのは、死を重要だと考えているからではないのでしょうか。
忘れないでいる、というのは、いい事でもあるし悪い事でもある。
そういった意味で、死は重要ではないと、思います。
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いえいえ、こちらこそ勝手に早とちりしてしまって申し訳ありませんでした(^-^ゞ
今空汰さんのお考え、といいますかご決意を聞いて、スレの内容からは外れますがなるほどそれは大変な使命感だな、とちょっと唸ってしまいました。空汰さんの信念としては、理不尽な程追いやられている同性愛者を守りたい、あるいは逆にそれほどまでに責め続けている人々を糾弾したい、とのことかと思います。当然そのようなご姿勢はすばらしいですし、私もそういった気持ちを大事にせねばなぁ、と改めて考えさせられました。本当にありがとうございます。
ただ一点だけ、これは自戒の意味も含めて申し上げるのですが、空汰さんがどうのこうのではなく、一般論として私達の年代で「誰かの為に闘う」というのは大変重い信念、使命です。時にはその使命そのものが、自分がこれまで客観視していた部分、事実でさえ知らず知らずの内に歪めていることもあります。大変偉そうですが、どうか自分自身の「信念、使命」に惑わされる、歪められることなく、これからもご自分のスタイルを貫いて頂ければと考えてしまいました。個人的には空汰さんのような主張、スタイル、とても憧れます(^-^)今回のような議論は私にとって本当に考えさせられましたし、勉強になりました。重ね重ね本当にありがとうございました☆
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無理に戦う訳ではないし、勿論そういう理念を持った人間を滅ぼすという
訳でもありません。
只、生まれつきなものである同性愛を否定する人間は理解出来ないし、
また、それを自身が否定するという事も理解に苦しみます。
だからこそ、それを理解出来ないでいるからこそ、解決の糸口が見つけられると思うのです。
私の力はごく少数ですし、それほど強くもありません。
けれど、出来る限りの知恵を絞って、目の前に居る人達くらいは
助けたり、怒ったり、怒られたりしたいんです。
スレの内容とかなりズレてますよね(笑
一人で盛り上がってしまって申し訳ないですw
こちらこそ、有難う御座いました^^
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
地球の45億年の歴史の中で30億種ぐらいの生命が
誕生し、いま残っているのは3千万種だそうです。
つまり、確立で言えば99%は死に絶えます。
また、通常の生命は長くても1千万年で死に絶えるそうです。
人間も例外ではありません。
遺伝子を残しても、結局は人類滅亡に向かって
いることは間違えありません。
地球の歴史を考えると、人間がいなくなっても、
たいして問題はないでしょうね。
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