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どうも、皆様、こんにちは。
そして、初めまして・・・もいらっしゃいますか?w
空汰と申します。
恋愛掲示板で少しお世話になり、そしてここで皆様の素晴らしい意見を
閲覧させて頂き、私も投稿させて皆様との議論に参加させて頂きたいと思い
馳せ参じました。
私が皆様に意見を求めたいのは、「宗教」について、です。
宗教は人間の思想の大半を占めていると言われています。
その為、謝った宗教は罪を犯し、戦争を生みます。
例として挙げるならばキリストですね。
未だに根強い方は同姓婚が認められていてもゲイを毛嫌いしていますから。
そうした宗教の影響は、大なり小なり人間の思想の根本に関係していると
私は考えています。
日本は死別した時は仏教で葬儀を行い婚姻した時は教会で結婚式を挙げるという
なんだかムチャクチャな宗教の方が多いですが、(笑)
皆様は宗教について、どうお考えでしょうか。
自分の中にも存在する、信念と行動理念が少なからず宗教に通じているのだとしたら。
そこを解明すれば、もっと人間は進化できると私は考えているのです。
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 17:19 -
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存在などするはずの無い神様信じて何になるのだろうね… 自分より上の存在に責任押しつけたいだけ
<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
レス、有難う御座います。
確かに、個人的な話としては私も神を信じて人を信じないのは
意味がないのではないか、と思っています。
が、注目すべきはそこではないという事に気付くに至ったのです。
神を信じる。それはつまり、所謂一種の妄想ですよね?
それで人間は変わりますよね?私が言いたいのはそこなんです。
人間というのは、想像の力でいくらでも変われるのではないか、という事です。
宗教を通じて人は戦争を起こしたり、ルシフェルさんが仰る通り責任をなすりつけたり、人を詰ったり別の宗教の人達を邪宗だと罵ったりします。
ただ、その宗教に対するエネルギーをいい方に変えていく事が出来たなら。
そこに、真の世界平和があるのではないか、と考えているのです。
いい方に例えると、自身による瓦礫で出来た暗闇で一人生き埋めにされた女性は
食事も水分も取らずに15日間生き延びて、救出されたそうです。
本人は「三日くらいしか経っていないと思っていた」と、言ったそうです。
それこそが、想像の力(もとい宗教の力)ではないのかと、考えているのです。
先程前述したとおり世界平和に対する努力を前提にしている意見なのですが
私の言う世界平和は、皆が「幸せな人生だった」と思う事だと、考えています。
たとえ殺されても、不慮の事故にあっても「今まで生きて来れて幸せだったなぁ」
と、自分の人生に皆が胸を張れるのが真の世界平和だと考えているのです。
他人がどうこうではなく、自分が楽しいと思える。
そんな風に宗教を信じる力、すなわち想像の力を働かせる事が出来たら
人は素晴らしい人種になると思うのです。
勿論、個性も重視して。
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▼空汰さん:
人生の節目が来た時にしかるべき場所で
そのしきたりに従うのは
「宗教」というよりも行事を卒業する考え方の方が
強い気がします。
「宗教」という概念がより多く考え方も異なるのに
なぜこれほど長い年月を経ても今だに広まっている
のでしょうか?
日本では「仏教」が主のように思いますが
今、自分の心のあり方によってどう行動していくのかが
問われているように思います。
例えば「般若心経」によって心を豊かにしていく
先人の知恵が後世に伝わってきたものだというように
考えられるのではないでしょうか?
もちろん伝わっていくにつれて中身に多少の差異とか
もあるのかもしれませんし、絶対的ではないのかもしれません。
自分が追い込まれると心が不安になって
寂しくなって人との接し方を求めたくなります。
”道徳心”や因果報応のあり方について
問うているもので目には見えない自分がした結果=恥を
経験しないために先人達は言葉を残してくれたようにも
思えます。
”情けは人の為ならず””お金は天下の回り物”のように
人との接し方や物質は豊かにしてくれる反面
使い方を間違えると 自分が気づかないうちに
誤った方向に行くのを防いでいるかのように思えてきます。
絶対的ではないけれど心に安心感を与えてくれて
精神面や考え方を豊かにしてくれることだと思いました。
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 18:00 -
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それは洗脳や暗示に近いな… 人生つまらなくなりそうだ
<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
レス、有難う御座います。
言葉が足りなかったようですね、申し訳ありません。
私も、アジサイさんの言ってる事は一理あると思います。
そういうものもふまえた上で「宗教」という言葉を使ったつもりなのですが、
表現力が足りなかったようで、申し訳ないです。
つまり私が言いたいのは、ルシフェルさんのレスでも書いたように
真の世界平和、自分自身が最高に幸せな人生だったと皆が思えるようになってほしいと考えているのです。
先人の知恵、ですね。そうです。宗教もなにもかも先人から継いで来たものです。
だがしかし、それはマイナスの面にも働くと思うのです。
アジサイさんが仰った”情けは人のためならず”も、
「情けは人のためにならない」という意味だと捉えている人が多いのがその証拠だと思います。(かくいう私もそう思っていた時期が・・・ゴニョゴニョ)
いつまでも昔の事を気にして「俺達が子供の頃はもっとひもじかったんだ、
ご飯を残すな!」とか、食事の好き嫌いをするなとか言われるのは
腹が立ってなりません。自分の価値観を他人に押し付ける。
それが、日本人の頑固で悪い所だと思っています。
よそはよそ。うちはうち。人間は人間。他人は他人。ならば、自由でいいじゃないかと、行き着いて欲しいのです。
勿論、ルールや規律、法律はあって万歳ですが。
言葉が足りなくて誤解を招くかもしれませんが、つまり私はアジサイさんのような考えの方が世界中にもっと増えればいいなと思うのです。
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むむむ・・・・
この考えは人生がつまらなくなってしまうのかw
確かに、その面もあるかもしれないですね・・・
世の中にはバランス、もあるでしょうから。
だからまぁ悪人とかも当然いるでしょうが、私がこれを伝えたいのは
今ここに来ている皆様です。(押し付けがましいかも、しれませんが)
洗脳はともかく、暗示は自分の為になるならいいのでは?w
要は、皆が幸せだと思えるなら私はどんな形でも構わないですからなぁw
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
この書き込みは投稿者によって削除されました。(07/4/2(月) 21:30)
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 19:49 -
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<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
この書き込みは投稿者によって削除されました。(07/4/2(月) 21:31)
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 20:27 -
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<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
この書き込みは投稿者によって削除されました。(07/4/2(月) 21:32)
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 20:40 -
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<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
この書き込みは投稿者によって削除されました。(07/4/2(月) 21:33)
この書き込みは投稿者によって削除されました。(07/4/2(月) 22:53)
宗教団体に対しては、個人的に冷めた見方をしていますね。オウム真理教(アーレフ)創価学会・幸福の科学・成田のミイラ事件・キリスト牧師の信者強姦等の事件が、起きました。宗教をするしないは、個人の自由ですのでやるなとは言えません。
宗教に、入っている人の話では、自分の回りが変わった。とか、末期癌が、完治しました。とか、大きい事故をした時に、周りの人達が大怪我を負っていたにも関わらず、自分は無傷だった等の話を聞くよ。俺は、この話をデタラメと見るね。
宗教に入る人は心に傷が有るか、過去に問題が合ったかのどちらかだと思いますし、心を許せる友達がいない人だろうとね。
ましてや、洗脳をするには、薬物と説法だけで洗脳は可能ですね。キリスト教も、正しいように言ってはいますが、実際は最低集団ですよ。神の存在を信じる信じないは別にして、自分の周りが変わるのは、自分自身がそれなりに努力して来たからですよ。出なければ、何も生まれ無いですから
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 21:54 -
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つ〜か宗教団体の上の奴らは金の為に宗教団体開いてるもんだね
あいつら税金かからないしな
<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
レス、有難う御座います。
ふむふむ、ユタさんはそうお考えなのですか。
ここからは私なりの意見なので、その意見を批判するつもりも否定するつもりもないという事を前提で話しますが、私はとある宗教に入っている家庭に生まれて、
実際にそういう(末期癌が完治した、等)出来事に囲まれていた訳なのですが、
私はそれがデタラメだとは思いません。というか、思えないのです。
目の前で起こったのを確認してしまったので、到底否定はできません。
するとしても、科学的だのなんだのと言って屁理屈をこねるしかできません。
そうなった時に、これこそが想像の力だと、考えるに至ったのです。
ユタさんの仰っている事はかなり正論だと思います。
私はそれを少し見方を変えてみても面白いのではないか、と思っています。
そういう奇跡が起こったり、人柄がガラリと変わってしまったり。
それら全ては宗教を通じた人間の想像の力だと、考えている訳です。
ここまで深く考える必要性は、まったくないのですが。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
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ルシフェル
- 07/4/2(月) 22:53 -
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宝船君 僕の顔悪用するのやめてくれませんか? 中傷も控えてください
<KDDI-HI36 UP.Browser/6.2.0.10.4 (GUI) MMP/2.0@05004030667937_va.ezweb.ne.jp>
それは、同意見ですね。と言うのは、俺自身もキリスト教を信仰する信者でした。宗教をやっていた者同士話が合うかも知れませんね。空汰さんの場合は、真面目な宗教団体の方だろうと思いますね。普通の団体は、入信する時の決まり文句は、ここに入って置かないと地獄に墜ちると言って、強引に入らせますから。宗教によっては、真面目に活動している所が有りますから、全ての宗教団体が、金目当てとは言えません。悪い団体は、お金が目的だった・犯罪に走るですから。空汰さんの信仰している団体さんは、良い活動をしているんですね。俺自身は、人が何を信仰していようと、止める事はしません。悪い団体にいるなら、強制して止める事はしますけどね
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私は一応その宗教に入ってはいるのですが、
ダメ男の飽き性で信仰性がないのであまり熱心な信者とは言えないのです(笑
けれど、その宗教の人はとても善い人ばかりだし、
被災者等を保護し、水や食料を分け与えたり寄付もしていたそうです。
それ故騙されたり利用される事も多いようですが。
だから宗教を頭ごなしに否定できないのでしょうね・・・w
確実に善い宗教、人の為になる「正しい」(この表現は、好きではないですが)
宗教があるのですから。
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確かに、おっしゃる通りですね。俺も、キリスト教に入っていた時は、そんなに熱心にはやっていませんでしたから。空汰さんが宗教に入ったのは、誰かに誘われてですか?、それとも家族と一緒に入ったとかですか?、神様の存在を信じる事で、宗教は成り立ちますからね。俺の場合は、今の宗教に対して疑問を抱いているからです。世界中の宗教は様々ですが、日本だけは違いますよ。何故か?
日本には、特定の宗教が無いからです。仏教は、戦国の時代〜現代まで有りますが、キリスト教も同じく戦国時代に外国から伝わったものです。ただ、キリスト教の場合、幾つかに別れていますね。イエス・キリストを信仰する団体・カトリック教会・エホバの証人の三つに別れるんですが、この中で真面目な団体がカトリック教会です。他二つは、名前だけの団体でしょう。良い宗教・悪い宗教は、外国の宗教を見れば大抵分かりますね。
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興味深いお話を聞けて嬉しいです。
私の場合は、親がやっていた、という事になります。
その宗教については若輩者の私が言うべきではないので
詳しく語るのは避けますが、でも、とても善い宗教だ、
ということは言えます。
それを通じて想像の力、と自負できているのです。
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俺自身も、きちんと信仰していれば、価値観・自分自身の性格が大きく変わっていたでしょうね。そんな空汰さんからの、お話が聞けて光栄です。空汰さんは、真面目な方何でしょうね?。良い宗教に入った事で、心優しい方に生まれ変わった
それが、羨ましいですよ。
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お褒めに預かりこちらこそ、光栄です。有難う御座います。
私が生まれ変わったのは宗教というより自分自身の人生経験の方が
多いですが、宗教の人達を通じて触発された所も確かに多々ありますね。
恋愛掲示板にも書きましたが、若い時の苦労は買ってでもしろ、
という感じで苦労続きの人生でしたw
(といっても、まだ20歳にもなっていませんが・・・)
本当に窮地に立たされた時、人を呪う前にこの痛みを
他の人間に味合わせたくない。そう、思うようになっただけです。
この言葉が自分が届く範囲で出来うる限りの多くの人に届けばいいと、今は考えています。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
▼空汰さん:
個人的な意見です。
日本は、宗教を根底から信じている種族とはとてもいえません。例えば、何か起こったときの日本人とアメリカ人の差があります。日本人は、様々な悲鳴や言葉を発しますが、キリスト教圏では、日本語で言う”おお、神よ”または”キリスト(ジーザス)”と言ってしまう部分が多いです。これは、生活上の根底に、単一の宗教を、ほぼ強制的に洗脳しているといっても過言ではありません。それは、教育にも現れています。例えば、日本の生物の教科書では、通常、ダーウィンの進化論を使用しますが、一方アメリカでは、未だに創世論を信じている人間が4割を超えるというグラフを見たことがあります。(ちなみに、裁判で、進化論はあくまでも信憑性がある可能性のある1つの論理として教えることを、許可するか否かという裁判で、進化論が負けに近い結果を生んだこともあります)
このように、誤った宗教観念というのは、かなりあります。特にあるのは、イスラム教とキリスト教です。並びに、日本限定の仏教です。これは、権力と結びついて、教えが完全に原典と異なってしまったものの良い例です。面白いのが、日本の国教である神道というのは、意外にも権力との結びつきが少なかったのと、こっそり、アミニズムからあまり発展を遂げていない宗教ですので、権力化しにくかった面が大きかった点で、誤った宗教観念の発育がなかったのだと思います。
実は、キリスト教や仏教などの宗教というのは、原典における教えは、殆ど遜色ありません。実は、奇跡の類というのは、最初は、一部の本当に修行(努力)を重ねた人間だけに伝え、一般には、そんなものには頼ってはいけないという面が大きく出ています。しかも、ほぼ、教えの全ては”人としての正しい生きる道”を、示しているに過ぎず、しかも、学ぶことや人を敬うこと、人を思い慕うことの大切さを説くのは、ほぼ共通しています。
ところが、日本に密教を伝えたのは空海ですが、それ以前から、仏教界においてかなり、陰の部分の教えが出始めていました。それを日本に伝え、役行者の修行法と共に、かなり広めてしまったところに、意外にも仏教への権力介入の口実を与えてしまいました。面白いのが、政治との大きな結びつきの最初が、恐らく最澄であると思います。そして、権力との結びつきが大きくなったのは、それ以後です。
キリスト教は、ローマ帝国の国教として栄え、その結果、十字軍(クルセイダー)の蛮行を起こしてしまっている側面もあれば、未だに”キリスト教以外の宗教は、未だに成長途中のものである”として、他宗教への攻撃を緩めないキリスト教とは恐ろしいものがあります。その真実の教えは素晴らしいものだと思いますが、残念ながら福音書も4つに限定されてしまい100を超えていた、解説書がなくなっていることから、非常に真実の教えを見ることが難しくなってしまいました。
このように、信念や行動理念が宗教に通じている、というのは、私は逆に感じます。宗教というのが、そもそも、人間の正しい信念や行動理念を教えるものだと思いますので、そこは解明するというよりも、知性と、信心の最終的な地点というのは(結局は、宗教に頼らず真実を求めることと、宗教の教えを元に真実を求めることの最終地点は)同じなのだと思います。
つまり、宗教の原典を解明することというのは、よほどの修行によって得られる物と、教えとして残したものの2つの融合ですし、知性や見識による人間の進化は、時間がかかります。正しくは、後者が宗教を作った。といっても過言ではないと思います。
上記によって、私は、宗教の解明は確かに進化、に繋がる側面もあるかもしれませんが、それは、全体としてのものではなく、単体としての進歩はあると思います。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-220-201-128.s02.a001.ap.plala.or.jp>
レス、有難う御座います。
そうですね、確かに、私もそこを解明するのは遙かに難しいと思います。
やはりこういう事は一人一人個々が考えて学んでいくべきだと思いますし、
伝えるとしても、私の言語や伝え方にも問題が生じてくると思います。
でも、とても興味深くて勉強になるご意見でした。
確かに宗教がそれぞれの信念や行動理念を作っていっているというのは
かなり頷けました。
まだまだ勉強不足だなぁと痛感しています。
しかし、キリスト教徒でも同性愛に走ったりなどという話を聞いたりするので、(その逆も当然ありますが)まだまだこの宗教問題には解決の糸口や
進化への路が残されているのではないのか、と考えているのです。
私は知識不足な面も多く、これを見ている皆様には薄っぺらい言葉に聞こえる事もあるでしょう。それを、否定はしません。
だけど、この宗教の影響を善しも悪しも含めて話し、言葉を正しく人々に伝えるという事を学んで、また受け取る側も言葉を正しく受け取るようになれたらいいなと、思っています。
言葉や表現の違いでなにもかもが間違ってしまう今、
もはやこの惨状を救えるのは宗教だけではないかと、考えているのです。
様々な理屈をこねくりまわすだけでは、そこに矛盾が生まれ、
それを疑問に思い、いつまで経っても先に進めないと思います。
だが、信心の力、ひいては想像の力は、理屈ではなく感情で物を受け取れます。
その感情を正しい方向に導く術を私達が知る事が出来れば、
喧嘩も起きず、それぞれがそれぞれの多種性を認め、それが
「真の世界平和」へと繋がっていくと、私は考えています。
只の理想論で、更に話がずれているかもしれません。
申し訳ないです。しかし、私が言いたいのはこういうことだと、
30%くらいは話せたと思います。
つまり私は、全体の進化ではなく、単体の進化、それを、
全体へと、限りなく全体へとつなげていきたいと思っている、という事です。
何か疑問に思う点や間違っている点があればご遠慮なく、言って下さい。
まだまだ若輩者ですので、私もこの掲示板でもっと成長したいと思っているので。
では、失礼致します。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
▼空汰さん:
ご返信頂きましてありがとうございます。
私も、空汰さんと意見を交わせる機会を持つことができまして、非常に嬉しく思います。別段、薄っぺらいと感じることはありません。が、私がそう思うことがあるとすれば、狂信者か、自己正当化しかできない人間の、あまりに納得できないというか、聞いただけ。内容はわからないが、こうなんだ。という意見は薄いと思います。
さて、同性愛に関しては、別段キリスト教において、明確に禁じられているものではありません。キリスト自身が、生産性の無いものは必要ない。といった類の発言は残しているようですが、それは、この世の中に非生産の物はありえない(清濁両面において)という解説もありましたが、これは、バチカンが指定した福音書のようなものには記述がありません。
こういったことは、色々な悲劇を生んでいます。その最たる例が、ジローラモ・サヴォナローラによる清貧を旨とした弾圧ではないでしょうか。これは、清貧という志は正しいものの、それを正しく運用することも理解することもできなかった最たる例だと思います。
今の世の中は、民主政治という名を借りた様々な悪徳が積み上げられているといっても良いと思います。そんなときに、宗教の教えを頼るのも良いとは思いますが、実は、宗教というのは点であって、それを面にしたものは、大乗仏教を初めとするようなものになります。しかし、これは、教えの全てを理解するわけではありません。つまり、宗教から、面へ至るには、実は知性に頼る方法しか残されていません。その材料として、宗教を用いるには、実は”証拠”を必要とする、または、事実を要求する知性には向かないといっても過言ではないと思っています。
私は、様々に残っている文化や、見識を、現代において生まれた正しい部分に融合させることによって、より深い見識を生み出すことが出来ると思います。ただ、それ以外の方法に、例えば美輪明宏さんや細木数子さんのように、宗教、神秘、統計学の分野から真実を悟ることによって、それを還元させることも可能だとは思います。
世界平和というものは、実は、全ての人間がそれを思わない限り実現しません。そして、ありとあらゆる権力欲を捨てることも必要になると思います。また、ただ人間が増えるだけでもいけません。つまり、食物連鎖の関連を断ち切って、人間が頂上に立った現在においては、そう簡単には平和を実現できません。人間の増加だけを考えるなら、いくらでも簡単に思えるのですが、生き物への冒涜や、様々なことを考えると、非常に難しい問題になります。
世界平和とは、何を指すのでしょうか。戦争がなくなればいいのでしょうか。憎しみがなくなれば良いのでしょうか。生物を無駄に殺さなければ良いのでしょうか。実は、今挙げた全てが、私は違うと思います。これを模索するには、人一人の人生では恐らく不可能でしょう。それを可能にするのが宗教ではないでしょうか。ただし、それは万人に認められるものではないということです。
ここまで来ると、堂々巡りにはならないですが、かなり複雑な思考に私は思えてしまいます。目前の命題を片付けていくことも必要ですし、数百年、数千年、はるか未来を見据える目も必要でしょう。
つまり、多様性を認めることというのは、同時に混沌も意味します。恐ろしいことですが、未だに人間というのは、何一つ解明できていないのだと思います。もちろん、仰っていることは、一見正しいのですが、穴があるのではないでしょうか。それは、人間の視野や、生物の視野、地球の視野に囚われてしまうからだと思います。究極の視野というのは、何も無いにもかかわらず、すべてを見据えていることなのではないでしょうか。
私は、純粋さを失いつつあるなぁ。と思うときもあります。勉強というのは、非常に大切なことだと思います。お互いに、良い勉強をできるといいなぁ、と思います。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-220-201-128.s02.a001.ap.plala.or.jp>
こちらこそ、返信有難う御座います。
なんだかレベルが高すぎて本当に頭が下がってしまいます。(笑
やはり私の言葉が足りず、色々と通じていない所があるようなので、
今回は私自身の考えをもっと理解して貰う為に書かせて頂きます。
まず世界平和、ですが、私が言っている世界平和は
戦争の事でも憎しみの事でも殺戮の事でもありません。
当然、戦争は絶対にいかなる理由があろうと許せないし憎しみだって出来うる限りなくしたい、と考えています。
でも、それは私の個人的な意見。価値観の押し付けに他なりません。
私が言った「真の世界平和」とはそういう意味ではなく、
例え人に殺されても、不慮の事故にあっても何をされても
「自分の人生は今まで最高の人生だった」
と皆が思える事だと私は考えています。大切な人を失った時、
その人を殺した犯人を恨むのではなくこれから自分がどうするか、
考えを転換できるようになってもらいたい。
悪人がのさばって善人が苦しめられるのは、私にとって見ているだけで耐え難い苦痛です。
悪とは戦います。人の命は平等でも私はえこひいきもするし動物の肉も食べます。
決して偽善のつもりはないのですが、これを言うのは私の価値観の押し付けに他ならないと思います。
だから、そこは理屈じゃなくて感情で伝えればいいのではないのか、と
模索しているのです。その方法を、考えているのです。
そこを考えた時に、私は宗教の力を、想像の力を学びました。
宗教の力には悪人も善人も、等しく心に響く力があると思います。
確かに一種の洗脳かもしれませんが、それを悪用も沢山されていますが、
少しでも正しい方向に持っていけるのなら、努力をするのも悪くはないと思います。
なんだか随分綺麗な文章になってしまいました。
JINGさんが仰るとおりこの意見には沢山の穴があると思います。
だからこそ、こうして意見を交わしてこの意見を一人でも多くの人の心に響くように鍛え上げたい、と考えている所存です。
勿論私は汚い人間だし、他人に酷い事を言ったりもします。
だけど、私は私の、皆様は皆様の関係性や責任、社会性があって、
愛があって、命がある。
本当に只の理想論ですが、それを強く伝える事が出来たら、それが私にとっての至高の極みだと思っているのです。
これからゆっくりと知性を深めて、見識を深めていきたいと考えています。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
▼空汰さん:
いえいえ、別段レベルが高いわけではなく、多分目線が違うのだと思います。私の場合は、周りに随分の宗教家が居ました。まぁ、宗教の名前を挙げてしまうと、創価学会、立正佼成会等の狂信家も居れば、天理教や浄土真宗のような一般的な宗教に居る人間も居ました。そのために、周りには、恐ろしいほどの宗教というものが渦巻いていました。ただ、これ今の教えを全部聞くと面白いほどに矛盾します。だからこそ、宗教に関しては随分と考えさせられました。
私は、現在の宗教が言う、憎しみなどの憎悪が悪いものだとは思いません。人を愛せる人間というのは、それを亡くしたときに、悲しむものだと思います。そして、相手を恨んでしまうのも、また仕方がないことだと思います。ただ単に、その感情を理解し、制御すれば良いだけのことだと思います。
そして、憎悪、憎しみは、返せば浄化作用に繋がります。ここが、最近の宗教家が眼をそむけ、過去の宗教においては、受け止められていたことです。
今、連続自動殺傷事件などの痛ましい事件が増え、飲酒運転による殺人や、危険運転致死傷などの法改正も行われました。もし、それらに対する憎しみがなければ、いったい何を持って、そういった過ちを訂正していくのでしょうか。
私は、善も悪もあって良いものだと思います。ただ、過ちは訂正していけば良いのだと思います。
未だかつてないほどに、未理解、または誤解といえることがあります。それは、戦争が憎しみによって起こるものだという考えと、戦争が新たな戦争を生むという考えです。過去において、しかも大昔においてはそうであったといっても良い側面はあります。有名なのは、おそらく蜀の王であった劉備元徳の義兄弟が殺された時の一事でしょう。
では、実際に戦争が起こる場合に一番大きい原因は何か。権力だと思います。三国志の話で言えば、董卓や曹操、日本で言えば、織田信長あたりが良い例なのかもしれません。まぁ、董卓あたりは己の欲が大きいでしょうが、曹操や織田信長はもちろん天下を治めるという理想もあったでしょう。しかしながら、それには権力が必要であったことも事実ですし、その権力が、人間を傲慢にしてしまうことも事実です。
一番笑えるのが、慈悲と慈愛を旨とすべき宗教国家による戦争でしょう。これのほぼすべてが、保身であるといって過言無いと思います。
諦めるという行為は、はっきり言って私には言い訳にしか聞こえません。ありとあらゆる行動には、かならず責任が伴うと私は思っています。人間は、そこへ背を向けることが非常に得意になってしまっていると思います。犯罪であっても、なんであっても、それに対する罰というのは、『他者を悲しませた』なんて理由はひとつもありません。『被害者のこうむった被害分を償え』と言っているに過ぎません。これは、集団であれば当たり前のことですし、個体として生きていくうえでも、大切な心得であると思います。
私は、考えの転換よりも、理性による心の制御のほうが大切だと思います。もしかしたら同じニュアンスで仰っているかもしれませんが、考えの転換とは、同時に無視を示唆するのではないでしょうか。
さて、私は人が無意味に動植物を殺さない限り、それは冒涜だとは思いません。もし、食べ物がなくて死にそうな時に、人間の肉を食べようと、それを殺人として償えと思うわけでもありません。ただ、親族や愛する人が犠牲になって食べられた場合は、恐らく相手を憎むでしょう。もちろん、殺してやりたくなると思います。でも、私はこの感情を受け止めること、そして、殺すということは、こういった気持ちを自分に向かせる行為なのだ。ということを認識させ、納得させることこそ、真に平和へ近づくものだと思います。
実は、空汰さんが仰っているのは、組織論や統治論における極論の1つではあります。組織を統治する際に最も楽なのは、単一の考えに染めてしまうことです。そして、一切の感情を消すことです。これに宗教を利用したのが有名なローマ帝国であり、日本での戦国時代における本願寺一派だと言えるでしょう。
私は、子供が大好きです。唐突に何を言うか。と思うかもしれませんが、実は私が知識を求めるのも、様々な思考を繰り返すのも、すべて子供達のことを愛しているからと言っても良いかもしれません。もちろん、演劇を教える立場にいたことが一番の理由ですが、それ以上に、子供には苦労もしてもらいたいけど、より良い環境で、自分よりも高みを目指して(別段表面上の意味ではなく)欲しいと思っています。
自分の人生は最高だった。と全ての人が思える社会になれば素敵だと思います。これは、もちろん正しいと思います。
宗教の教えというのを、少し深く学んでみては如何でしょうか。これは、非常に傲慢な心から言うのかもしれませんが、空汰さんの仰っている宗教というのが、私には全てとは思えません。是非様々な宗教に触れてみていただきたいと思います。
人というのは、認めること、受け止めること、そして過ちを正すこと。これが、教育だと思います。そして、考えること、思うこと、与えること、見返りを求めないこと。が、愛情だと思います。
実は、中国の教えに”過ぎるということは、どのようなこともいけない”という考えがあります。確か儒学だったと思うのですが、仁儀礼智信、のいずれかが過ぎてもいけない。すべては、均一でなければならないというものです。これは、非常に正しいと思います。今の世の中には、すべて過ぎたものが多いのではないでしょうか。
こういったことを見ていただければ解かると思いますが、宗教の考えを”宗教”と捉えないことが大切だと思います。宗教というのは、人の生きる道を指すものであって、特別なものではないのだと思います。それが、人に響くのは、神様の力などではなく、その真の正しさゆえではないでしょうか。
おいくつかは存じませんが、考える時に重要なのは1つしか道を考えないことではありません。否定も賛成も考え、同時に点から点への考えはせずに、点から線、線から平面、平面から立体という風に選択肢を広げ、最初の選択肢から見たすべてと、ありとあらゆる選択肢から見た点を見つめることによって、推敲ができると思います。
感情で人々に宗教を超えるものを与えた人が近代にいます。ノーベル平和賞受賞者であり、稀に見る純粋な心を持ち続け、おそらく真に愛情というものに近づいていた女性であるマザー・テレサです。彼女は、他教の死を待つ人の家すらも、使用して人を救い続けています。心へ訴える手段とは、こういった宗教に囚われない、真に広い心と行動ではないでしょうか。
私が言いました穴というのは、”考えていない点”を指します。間違いという意味ではありません。どうか、心を広く持ち考えていただきたいと思います。 JING
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素晴らしいご意見有難う御座います。
そうですね、宗教については私ももっと勉強すべきだと思うし、
一つの選択肢しか見えない所も、私の悪いところだと思います。
私は熱心な宗教家ではないので、別に自分の家の宗教を過信している訳ではないのですが、はっきり言える事は正しい宗教は一つしかないんだという事です。
それは真の意味で、究極の意味で、ですが。
確かに私の意見は組織論等に繋がっていくと思います。
しかし、それは私の望んでいる論理ではないので、あくまでも政治から離れた論理だと考えています。
後、憎しみや憎悪を浄化作用に繋げていくのが、私の言う考えの転換だと、思っていただければ幸いです。
年齢はもうすぐ二十歳の学生という若輩者です。
なので、論理も言葉もまだ弱くて、伝え切れていない部分とか、
JINGさんが仰る通り「考えていない点」も、はっきりとあります。
目線の違いを指すのであれば、私は法改正は憎しみではなく痛みだと、考えています。
大切な人を失った痛みを、他の人にも味合わせたくない。
その心を持って法改正に望まなければそれは只の復讐と同じ、
只自分の心を晴らそうとしているだけです。
それで心が晴れればいいのですが、本当に晴れるのでしょうか。
憎しみは、憎しみしか生まないのではないでしょうか。
そういった意味で、考えの転換、ひいては、想像の力と言っているんだと思います。
私も当然善と悪がないとダメだと思います。
辛い事も、楽しい事もないとダメだと考えます。
つまり私が言いたいのは、辛い事があっても楽しい事があっても
「最高の人生だったなぁ」と他の人も思えるといいなぁ、と考えているのです。
これは多岐に渡って言える事だと思うし、ケースバイケースすぎて例を挙げられないのですが、とにかく多種性、というのは、たとえどんな立場にあっても、
という意味だと思って頂ければ幸いです。
怒り、憎悪は無意味です。人間らしさは失うかもしれないし、
怒るな、という方が無理だと思います。
けれど、そこを制御できたらいいに越した事はないでしょう。
他人に対して怒っても、お互いのなんの理解にも繋がらないし憎しみが広がるだけでしょう。
そういう風に怒ったり言い争うのが楽しい、と仰る方の心情は私には理解不能です。だからこそ、この意見は賛否両論で当然だし、全ての人間には伝わらないと思います。(言っている事が矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、矛盾はしていません)この意見の根本自体が私の価値観の押し付けに他ならない事をJINGさんにも理解して頂ければいいな、と思います。
決して大それたものではなく、人から人へ、こっそりと伝えていくものだと思います。そうしなければ、JINGさんが仰るとおり組織論等に繋がっていってしまう。
それは、私が望んでいる事ではないので。
返答できてないし論点もずれていっているかもしれません。
けれどこれが「私」の考えだし、つまらなくてもいいと思います。
私はJINGさんのお話が聞けてとても嬉しいです。
仰る通り広い心や、宗教をもっと知る事は必要だと思うので、
そこは私が改めなければいけない所だと思います。
前述した通り若輩者のガキなので、大人ならこの意見は鼻で笑ってしまうでしょうね。(笑
大人になってもこれを言い続けれたらいいなぁ、というのは、私の個人的な意見です。
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▼空汰さん:
非常に申し訳ありません。
私自身が、未だに18の今年やっと大学生になる者ですので、若輩者は私のほうなんです。それが偉そうにお話させていただいていることが、恐悦至極なのですが、そこはあまり気にせずに、ゆっくりとお話できれば。と思います。
確かに、究極の宗教は1つだと思います。私は、それが真理だと思っていますが、真実というのは恐らく私達の死後、自分の血筋も解からなくなるほどの時間がたって、やっと解明されるものだと思っています。
だからこそ、私達は歩みをとめるわけには行かないのだと思います。例えば、未だに1つの宗教に絞れない私達が、必死に何かにしがみ付き、信じ込み、考えず、否定するものを罵倒し、自分の無知を棚に上げ相手の良心をえぐるような言葉を投げかける。こんな人間が、はっきり言って多数いる社会に生きています。そんな中で、私は少数ですが、その影響によって子供達が汚れて、踏まれている惨状を垣間見ました。もちろん、そんな社会を続けていくつもりなど毛頭ありません。せめて、自分の幸せよりも、子供達の幸せを考えられる人間になりたいと思っています。
と、これが私の考えの根底にあるものです。
なぜ、憎しみや憎悪を浄化作用につなげるか。といえば、私の場合は、この世にあるものを全て利用した上で、制御することが大切であって、存在するものがどのようなものであれ、その1つ1つを全否定はしたくないからです。
実は、私も考えていない点なんて沢山あります。きっと、考えている部分を数えたほうがよっぽど早いでしょう。でも、そんな偉そうなことを言ってしまって申し訳ありません。と、同時に、その言を受け止めていただきましたこと、お礼申し上げます。
確かに、憎しみは新たな憎しみしか産まない。というのは、定説として日本、中国辺りには根強く残っています。では、どのようにして憎しみのない社会にするのでしょうか。それこそ、憎しみを生んでしまった”愛情”に私は解決の糸口があると思います。そして、仰るとおり、憎しみもなければ困るものだと思います。
人というのは、なくしてからその大切さに気がつくという愚かな点を持っていると思います。もちろん、それは大衆としても、個人としてもそうなのではないでしょうか。
善悪の判断というのは、実は勝手に人間が生み出した空想の産物だと私は思っています。世の中に、絶対悪と絶対善の戦いなど無いと思いますし、善悪に囚われることは、良いことだとも思っていません。
悪というのと、善というのは何なのでしょうか。私は、この世の中には過ちと正しい行動しか、こっそりないのではないかと思っています。だからこそ、そういった考えは、人を許すことを覚えるでしょうし、次に、人を罰することも出来ると思います。罰とは、私は行動の責任だとしか思っていません。
信頼関係に基づいた喧嘩というのも良いのかもしれません。ただ、私はあまり好きではありません。もっと、言葉というものを大切にしたうえで、話し合って欲しいと思いますし、腹が立てば正直に言ってしまうか、言わないのならば八つ当たりしないで欲しいなぁ。と思ってしまいます。
もちろん、統治論や組織論は恐らく脱却していく要因になると思いますので、参考程度に聞いていただければ結構です。そのことを先に申し上げればよかったのですが、私の配慮が足りませんでした。深くお詫び申し上げます。
実は、私も大人が物知り顔で説教して、矛盾する姿が大嫌いなんです。そして、虐げられる子供を見るのも大嫌いです。ついで言うならば、子供の時に思った理不尽なことを、絶対に私から見た子供達にはするつもりはありません。でも、甥っ子や教え子達を通して色々学ばせてもらっています。本当に、子供ほど素晴らしいものはないなぁと思いながら毎日を過ごしつつ、そんな子供を変えてしまう大人たちに憤りを感じてしまいます。
鼻で笑うなんてことは絶対にしません。私は、理想は常に合ったほうが良いと思います。ただ、そこへのプロセスは自分だけではなく他者からの言葉も聞きながら、より正しいプロセスを踏んだほうがいいと思うだけです。
(ただ、自分のことを棚に上げて言ってしまうのであれば、自分の考えが全て正しく、相手が誤りで、揚げ足をとることが好きな人や、過ちを認めない人は鼻で笑ってしまうかもしれません)
私も空汰さんとお話させていただけて、本当に嬉しいですし、幸せです。1つ1つを考えれば、共通点は少ないですが、こうやって落ち着いて話し合える方を見つけられるというのは、やはり幸せなことだと思っています。私の独りよがりでしたら申し訳ありません。
それと、私は思いの押し付けと思っては居ませんし、恐らく空汰さんはそれをなさらないと思います。なぜならば、こうやって話し合ってくださいますし、それ以上に、相手に押し付けることよりも、相手に語りかけることのほうがお好きなように見えるからです。
最後は随分と勝手なことを申しました。ご容赦いただければ幸いです。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-220-201-128.s02.a001.ap.plala.or.jp>
むぅ。同い年の可能性大です(笑
子供の成長、というか教育論に熱心な所がとても素晴らしいと思います。
私もきちんとした教師の元で学んでいって欲しいなと思うのですが、
いかんせん私は子供が苦手で・・・ゴニョゴニョ(自分もまだ子供ですがw
私に出来る事は皆無に等しいですが、その問題についてはこっそり応援していきたいと思います。
JINGさんは、子供がお好きなんですね。素敵です。
こうして落ち着いて会話できる相手とは今まで一人と出会ってこなかったので、
なんだか新鮮だなぁ、と思っています。
私自身は結構価値観を押し付けるタイプの人間なのですが、
価値観を人に押し付けられるのがかなり嫌で、だから、
自分がされたくない事を人にしないというだけなのです。(笑
善悪、というのは私の場合、その人自身の尺度によって測られるモノではないかと、思います。
それは過ち、正しい行動と同じ意味合いです。
ただし私はこの世に過った行動等存在しないと考えているのです。
その行動を「過ち」だと言ってしまうと、
それは後悔と反省の対象になってしまいます。
自分にとっての悪だと判断すると、反省はするが後悔はしないと思います。
悪も含めて自分、善いも悪いも含めて人間なのですから。
なので私は間違い、過ちという言葉は実はこの世に存在しないのではないか、と考えるのです。それは、原因と結果に基づいて、得られないモノが存在しないからです。
同年代だと知ると、急に親近感が湧くのはなぜでしょうw
馴れ馴れしいかもしれません。私的にもかなり嬉しいので、ちょっとテンションが高いです。(笑
けれど、JINGさんとはこれからもっと色んな話をしていきたいな、と思いました。
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TP-4.G型
- 07/4/6(金) 3:25 -
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子供を虐げる大人?
無知を恥じない大人?
この人たちをよくよく観察してみなよ?
身体は老人だったり大人でも心は哀れなくらい子供のままだよ。
身体と不釣り合いなくらい心は誰かに依存しているし、常に保護者を必要としている。
大人と子供って一体何だろうね?
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▼空汰さん:
おおっと、同年代さんでしたか!それは、私としてもうれしいです♪と、こんな遅くに返信してすみません。どうも、寝つきが悪かったもので^^;
さて、私は子供が大好きです。ただ、こういったことは人に押し付ける気はありませんが、苦手と嫌いは違いますので、きっと優しい方だと思います。
私も、落ち着いて話が出来るのはいつ以来かなぁ・・・・・と遠い目をしてしまいそうになります。本当に久しいことだなぁと思ってしまうのは、ちょっと傲慢でしょうか。
価値観を人に押し付けられるのが苦手なのは、私も似ています。やっぱり自分で考えて、その上で選択したいなぁ。と思います。
善悪の尺度に関しても、理想論はそれだと思います。ただ、それのデメリットは人間が現在は決してそれを全てに適用できるほど高尚ではないということだと思います。現在の問題は、そこを如何にして解決するかが重要なのではないでしょうか。
また”過ち”に関しては、私とは意見が異なるようです。私の場合、過ちというのは反省と後悔の対象で良いと思ってしまいます。例えば、子供に注意する時のことを挙げますが、私の場合は物を大切にしない子供に『だめ!』ということは、基本ありません(よほど小さい幼児には言います)。ただし、怒りません、間違えれば叱りますが、感情的に言うことは基本しないようにしています。そして、『壊しても良いけど、自分で責任を持って直して、誰にも迷惑かけないように出来るなら好きにしなさい』と言うと、不思議と子供達ってイタズラをしないものです。過失の場合はもちろん許しますし、注意もそれほどしません。でも、常に怒鳴ったりするのとくらべたら、全然再犯率も少ないです。
これは、私は人間が自分で考えて、心の中で何がいけないことかを判断しようとする心と、行動を認められたことによって責任を追及されることも示唆しましたから、それによる反応があると思っています。ただ・・・・こう書いていると、実は空汰さんの考えていることとあまり変わりないのかもしれません。ただ、選んだ言葉が異なるか、表現法が異なるだけで、中身は一緒のような気がしてなりません。
確かに、ありとあらゆる事象で結果が得られないものは存在しません。と断言して良いと思います。ただ、恐ろしいのは、原因が狂気で結果が殺人、なんて場合もあるということです。これは、本来空汰さんが考える善悪であれば、悪になると思いますが、これを納得させるのはとてもではありませんが、簡単なことではありません。本当に、そうだと思います。小なるものであれば、ここのサイトでも相手が見つかるかもしれません。大なるものであれば、アホ臭いことを言っている表面上のことしかわからない似非見識者など世の中に腐るほどいるなぁ・・・・と、高校のときから実感します。
1つ1つの点を考えれば、そこまで異常なことは少ないですが、それを表面上だけで考えて、自分勝手にとらえる人もいるということを見てみると良いかもしれません。そして、大体そういった人は自己正当化の極みを辿ることが多いです。前に述べました創価学会の方と話す機会がありましたらご理解いただけるかもしれません。宗教の怖さは、そういったところでマイナスの面の顔が出ると思います。
私もやっぱりテンションが高いですワラ 私もこれから色々と話していけると嬉しいです。 JING
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レス有難う御座います。
仰る通り、年齢的、社会的な大人で精神が大人な人は中々居ないですね。
別に悪い訳ではないけれど、子供からすると彼達の意見は
理不尽な押し付けに聞こえてならない。
そこが、問題だと思います。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
実は私も朝七時くらいまで起きてたり・・・ゴニョゴニョ
子供は嫌いではないですね、確かに。見ているのは好きです。
断っておくと、優しくはないです。(笑
学校でも殆ど誰にも挨拶しないから怖がられている始末です。
まぁそれも自分で選んだ路で、仲の良い友達は数人居るから、
それで私としては大満足なんですよね。(ゲイの友達は一人も居ませんが)
さて、善悪、正しいと過ちについては私も多分同じ意味だと思います。
表現の違いについて議論するのは無意味極まりないので、
この問題に関しては議論する必要はもうないでしょう。
一つだけ、個人的に言える事は、私は「後悔」をするのもされるのもあまり好きではないんです。
反省は次に生かせるけれど、後悔は後ろを向いているだけで、何も産まないからです。あの時こうしておけばよかったなんて考えるのは、無意味です。
そこでグルグル回っているのを体験するのはもうごめんだし、それを体験しているのを見るのも嫌だなぁ、と思います。
ちょっとだけ話が逸れますが、今、テレビでショムニの再放送をしていますよね。
私は昔からこのドラマが好きで、今回もちゃっかりDVDに録画しているんですが、
主人公の坪井さん(江角マキコ)が言っている事は、私の心にことごとく響くのです。
中でも「世界も会社もお前の為に回ってるんだよ」、という言葉が一番響きました。何をしていても、一番大事なのは、自分が楽しいか、という意味です。
私も坪井さんのような人間になれればいいなぁ、と思っています。
殺人については、考え方は人それぞれになりますよね。
そこまで大きな問題だと、無意味な議論も沢山生まれると思います。
けれど私は、その議論は無意味だと考えます。
殺人に関する問題に正しい答えなんて、ありません。
社会的に見ても感情的に見ても答えは様々です。私は、それで良いと思います。
賢い者が居れば、馬鹿な者も居るのがこれ必然ですので。
そこを救うよりも、私は賢くなろうとする意思が見える者を共に育ち、議論していく方がよっぽど良いと思います。
最後に創価学会についてですが、創価学会の方は心が綺麗です。
只それが、一般人にとっては傲慢に聞こえてならないのだと思います。
例を挙げるとするならば、被災者の保護を行い、水が流れないトイレを女子部の方が手で掻き出して掃除したりもしたそうです。
私は創価学会について見識も深くないのでそれぐらいの事しかいえませんが、
そんな事を出来る精神は尊敬に値するものだと思います。
だから創価学会は、まともな「正しい」宗教だと考えています。
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TP-4.H型
- 07/4/6(金) 18:18 -
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年だけ取ってしまった彼等は実際には精神的子供なのに、救いの道は絶たれてもやむ無しと言う事をですか?
彼らの目はまだまだ無垢な位、あどけないのだがね?
<KDDI-KC38 UP.Browser/6.2.0.11.1.2 (GUI) MMP/2.0@07031460976560_mi.ezweb.ne.jp>
個人的な意見です。
救うと言っても、私よりも遙かに年が上の方々をどう救えばいいのでしょう。
子供な一面というのは、大人になっても必要なモノですが、
完全に中身が幼稚な大人にどう対応すればいいのか、私は理解に苦しみます。
純粋であれば救う対象である、というのは、私は違うと思います。
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▼空汰さん:
表現に関しては同意です。
後悔に関しては、私は後ろめたいものだとは思っていません。常に、あの過ちを繰り返さないために。と思える、良い材料だと思っています。そして、その行為を反省というのではないでしょうか。
ショムニは・・・・私は北海道におりますので、少々番組が違うのかもしれません。さて、世界も社会もお前の為に回ってるんだよ。という言葉は、確かにその通りです。ただ、これは受け取る人によると思います。↑の考えというのは、同時に自己神格化を意味する部分もあります。これの究極が政治における専制主義です。神授国家といったりもしますが、実質旧大日本帝国や、それ以前の幕府もそうでした。ギリシャ神話に出てくる王国の、ほぼすべてがそうです。
私は、そういった素晴らしい言葉は一つではないと思います。それらの1つ1つを吟味し、理解し、その上で構築していくものを見識というのではないでしょうか。これは、過去の偉人だけではありません。現在の小説家や演技者、芸術を体現する人の多くが、自己の素晴らしい言葉を持っているのだと思います。
殺人に関して、私は否定はしません。人を殺すのであれば、社会であれば生きる権利を奪われることを覚悟しなければなりませんし、個体であれば、他者から殺される覚悟をしなければならないと思います。これは、復讐であってもそうだと思います。
最後に、創価学会ですが・・・・これは、本当に意見が違うと思います(たがうで読んでください)。それは、私が創価学会の嫌な面を見ているからです。ご存知でしょうか、災害があったときに、上層に位置する人間が、末端信者に『助けなさい』といいます。では、上層はそれをするのでしょうか。答えは否です。なぜかといえば、私達はそれに相当する以上の教えを説いているからだそうです。実に素晴らしい意見だと思います。
あまり言い過ぎると身元がばれそうで嫌なのですが、私の祖母の兄、つまり大叔父に当たる人物が創価学会に深く関わっています。それこそ上層と言って良いでしょう。ちなみに、何故助けるか。自分が高まるからだそうです。確かに行いは正しい。でも、正しい行動というのは、正しい考えに基づいているわけではありませんし、正しい考えというのは、正しい行動に繋がるわけではありません。正しい考えに基づいて、正しい行動を為せる人間は素晴らしいと思います。それ以外も確かに、偉いでしょう。しかし、だからその考えまで正しいとは言えません。
1つ、創価学会の例を挙げます。親戚の男の子が、彼女を自転車に乗せて坂を下っていくと、一台の作業トラックが出てきて、彼はお腹を引かれ亡くなりました。彼の母親と祖母は創価学会の人間ですが、父親は仏教徒です。通常、お葬式というのは一家の大黒柱の宗教でやるのが通例ですが、彼女達は父親側の親戚一同の前で創価学会で宗教で上げることを押し通しました。しかも、遺体の目の前で、口汚く旦那を罵りながらです。
葬式の当日。そのおばあさんは、創価学会の会員の方やおばあさんの親戚の前で『いやぁ、○○を撥ねたトラックが大手でよかったよ。お金がきちっとでるからね』と、大声で言ったことを私は絶対に忘れません。そして、家でご遺骨の前で食事をしているときに、なにやら創価学会の方、その地方の御偉い方だそうですが、その方と話していた奥さんが、突然旦那さんに『○○が死んだのは、あんたが創価学会に入らなかったせいだ。どうしてくれる』と、叫んでいます。これを、その心綺麗な創価学会の方々は止めません。
一度ならず、我が家は創価学会の勧誘を受けています。もちろん、幼かった頃の私は解かりませんでしたが、疑問を持てば、怒鳴られたことを覚えています。
これが、私の知る創価学会の考えであり、実践です。池田大作がお金を集めるために始めた宗教であることは、周知の事実ですし、日蓮宗から破門されても仕方がないだけの蛮行を今でも行います。
私が知って欲しいのは、表面だけを見ないで頂きたいということです。この世の中には、慈善事業を行っている人は多く居ます。例えば、死刑囚であったある人間が、生前、若い頃から育英支援団体などに匿名で金銭を送っていることもあります。ボーイスカウトやキリスト教では、相手を助けることは当たり前のことでもあります。
では、それの全ては正しいでしょうか。心の綺麗な人間でしょうか。それは違います。心の綺麗な側面があるだけです。そして、行動によって誰かが助けられただけです。それは評価するべきことですが、全てを肯定するわけには行きません。
どうか、物事の一事だけを見つめないでください。真に素晴らしい存在というのは、いったいなんなのか、それは簡単に答えの出るものではありません。
また、この世の中に存在する宗教で、未だに全てが正しい宗教が残っているのでしょうか。根本の教えが正しいことは認めます。しかし、本当に正しい宗教と言うのが、すべて正しいとも限りません。それは、キリスト教を見ていてお気づきにならないでしょうか。だからこそ、サヴォナローラ等の例を挙げていました。本願寺蓮如や顕如を上げても良いかもしれません。
どうぞ何にも頼らずに、自分が見て、知って、その上で正しいものを判断してください。もし正しいと思う実態を知りたければ、賭けですが、狂信者にならない自身があれば、創価学会に入会するのも良いと思います。あとは、創価学会ではない大人に、創価学会のことを聞いてみてください。きっと、貴方にとっては『間違いだ、誤解だ』と思う類の答えが返ってくると思います。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-109-108-118.s02.a001.ap.plala.or.jp>
私は創価学会の事を詳しく勉強していないので、強い反論はできませんが、
最初に言った件に関しても、感情の話です。
そしてその様々な経験なされた事に関しても、否定しません。
確かにそういう事もあるでしょう。創価学会と言っても、心の綺麗な人間ばかりが居る訳ではないし、当然この名を利用する者、性根が曲がっている者も居るでしょう。
都合の良い意見ですが、しかしそんな人物が全てではないと思います。
済みません。私の軟弱な頭では、返答の言葉が見つからないし、
貴方を納得させるだけの事は言えないので、返答はあえて伏せておきます。
私はもっと創価学会の事を詳しく知ってから、答えを出そうと思っています。
JINGさんが何を見て、何を経験しているのかはその言葉でしか推測出来ませんが、
私は私自身の考えを失いたくないと、思います。
その経験については、お悔やみ申し上げます。
私が宗教と人間性を繋げた話をしてしまったばかりに、思い出させてしまったようで、申し訳ないです。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
▼空汰さん:
>私は創価学会の事を詳しく勉強していないので、強い反論はできませんが、
>最初に言った件に関しても、感情の話です。
>そしてその様々な経験なされた事に関しても、否定しません。
>確かにそういう事もあるでしょう。創価学会と言っても、心の綺麗な人間ばかりが居る訳ではないし、当然この名を利用する者、性根が曲がっている者も居るでしょう。
>都合の良い意見ですが、しかしそんな人物が全てではないと思います。
>済みません。私の軟弱な頭では、返答の言葉が見つからないし、
>貴方を納得させるだけの事は言えないので、返答はあえて伏せておきます。
>私はもっと創価学会の事を詳しく知ってから、答えを出そうと思っています。
>JINGさんが何を見て、何を経験しているのかはその言葉でしか推測出来ませんが、
>私は私自身の考えを失いたくないと、思います。
>その経験については、お悔やみ申し上げます。
>私が宗教と人間性を繋げた話をしてしまったばかりに、思い出させてしまったようで、申し訳ないです。
いえいえ、お気になさらないでください。私は、別段創価学会の全ての人間を否定しようとは思いません。ただ、すべてを肯定する気もありません。ただ、それだけの話です。創価学会の勉強は私もしていません。いくつかの資料はあります。もちろん、日蓮宗の考えを知るためでもありましたが・・・・。
もちろん、その意見を変える失わせる必要はないと思います。変えるか否かは、これからの人生次第だと思いますので、あまりかたくなにならなければ、それで良いと思います。私も、自分が随分と感情的だなぁと改めて納得してしまうほどです。
私は、きっとその人たちへの思いを忘れることは無いでしょう。無くなった方には随分とお世話になりました。私よりも1つ年長で、保育園も同じでしたし、親戚でしたから、小さい時は良く遊んでもらいました。ただ、私なんかよりも、彼女さんのほうがよほど辛かったと思います。私が、今の私であれば、力ずくでも止めたことは疑いようもありません。これは、以前付き合っていた女性にも話したことがあります。別段辛い思い出はありません。私は、別段今まで何も無かったわけではありませんが、それが苦労だったなぁと思うほど生きてはいません。まぁ、多少家庭環境は変わっているとは思いますし、幾人か私の状況を知っている人も居ますが、とりあえず謝罪なさる必要はありませんので、お気になさらないでください。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-109-108-118.s02.a001.ap.plala.or.jp>
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TP-4.H型
- 07/4/7(土) 16:08 -
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君らは世の中本質を見誤まってます。
世の中に心身共に大人と言える存在が如何に少ないかを理解すべきですよ。
恐らく、君らは外見上、大人であれば、無条件で相手に大人としての良識と倫理観を期待するだろうけど、しかし、多くの大人、あるいは年長者は君らの期待を裏切るだろうね。
世の中の殆んどの成人は精神的に未成熟ではありませんか?
理解に苦しむ、苦しまない等に関わりなく、我々は、幼稚な大人と関わざるを得ないではありませんか?
理想を追求されるのも結構ですが、現実を見て下さいよ。
<KDDI-KC38 UP.Browser/6.2.0.11.1.2 (GUI) MMP/2.0@07031460976560_mi.ezweb.ne.jp>
有難う御座います。
付き合った女性・・・・それは、交友ではなく恋愛、ですか?
JINGさんは両性愛者だと捉えてよいのでしょうか。
創価学会はあくまで「宗教」なので、やはり狂信者、盲信者は居るでしょう。
只大事なのはそこではなく、「教え」自体だと思います。
けれどこれも都合の良い、というか私自身がそういう経験にあっていないからこそ言える言葉かもしれません。
キリスト教の中にも良い人、心の綺麗な人は居るし。
大事なのは「教え」なのかもしれないですね。
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現実を見据えるのと、悲観するのは違うと思います。
少なくとも私は、既にそういう大人と関わって生きてきているし、
何度も苦しい思いをしてきました。
けれど、だからと言って面と向かってぶつかっていくのを止めることはしません。
理想を追求する事を止める事は絶対にないです。
無意味な口論や喧嘩はしませんが。
それに感化されこちらまで諦めるのは、意味がない、もしくは、
更にダメなのではないのでしょうか。
勿論、個性、という言葉は大人にもある物だから、
そこは容認しますが。
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TP-4.H型
- 07/4/7(土) 20:34 -
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まあまあそう力まず、ただ私は多くの同年代の方々が、自らの描く理想と現実の人間関係とのギャップに悩まれているので、ついついお節介にも、現実を直視して、より強かに生きる事が必要ではないかとコメントした次第ですよ。
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もう、充分悩んでいます(笑
でも、悩まないと解決の糸口は見つからないですよねぇ。
それは、大人達との争いの中で、私が見つけ出した経験論です。
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TP-4.H型
- 07/4/7(土) 21:29 -
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そうですか。
私は争うことが、億劫に感じる怠け者ですので、年長者と適当な間合いで付き合いながら、利用した方が賢明と考えてしまいますよ。
彼等は意外に純真で無垢ですから、ちょっとした笑顔と甘い言葉に弱いですね。
ただ私は気が弱いので、徹底して彼等を利用できません!
損な性格ですよ。
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それも一つの生き方でしょうね。
私自身もそうした方がスムーズに事が進む時もあると、思います。
馬の耳に念仏しかり、暖簾に腕押ししかり、無駄な事はしない主義ですので。
損な性格・・・かどうかは判りかねますが、徹底的に利用する事もないのでは?w
そんな大人達は放っておいて、自分の楽しい事をすればいいと私は思います。
勿論それをする為に大人を利用しなければならないのなら、
話は変わってきますが。
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TP-4.H型
- 07/4/7(土) 22:20 -
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まあ。
大人を利用する生き方も、一歩間違えると、ただ、他人に依存するだけの骨抜きになりますね。
そうなったら淫売と変わりませんよね。
私は自由で自立した男であり続けたいね。
<KDDI-KC38 UP.Browser/6.2.0.11.1.2 (GUI) MMP/2.0@07031460976560_mi.ezweb.ne.jp>
自由で自立した男・・・・同感です。
個人的な意見だと、淫売とか淫乱と言われる方は私の理解を超える世界ですので、
せめて、同種だと思われないようには振る舞いたいと思ってます。
他人に依存も反対派ですが、一度はしてもよかったなぁと思っています。(笑
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TP-4.H型
- 07/4/7(土) 22:51 -
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ただ、一度、甘い蜜を吸うと簡単には辞められませよ。
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この書き込みは管理人によって削除されました。(07/4/8(日) 5:45)
それは、何があっても絶対にしないでしょう。(笑
前述したとおり、同種にはみられたくないですから。
出会いは自分では作らない人間なもので・・・
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▼空汰さん:
私は両性愛者です。女性にも男性にも恋愛感情を持てると思います。
さて、創価学会の教えですが、実はそんなもの存在しません。創価学会独自の解釈による教典は存在していますが、これは基にあるものがまったく別で、だからこそ日蓮宗から破門されています。
ただし、創価学会が力を持っているのは、その教えの正しさゆえではなく、その集金能力、その狂信者育成能力にあると言っても過言ではないでしょう。なぜ、団体への献金をやむを得ざる事情で怠ったとしても、罰が当たるのでしょう。なぜ、創価学会において上位者が絶対なのでしょうか。はっきりといってしまうと、創価学会と公明党の繋がりは明らかですが、創価学会の全盛期にそれを示唆した人間の多くが、死ぬか社会的地位を剥奪されていることをご存知でしょうか。
創価学会は、当たり前のごとく”法華教”を使用しています。ただし、仏教ではありません。この矛盾がご理解いただけるでしょうか。
また、仏教の教えに金銭は含まれません。金銭によって救いは買えないという教えは常に持ち続けていますし、これは当たり前のごとく当然でしょう。
ちなみに、創価学会の他国での(SGI)評価は酷いものです。また、池田大作氏の発言には清濁両面が現れていると言って良いでしょう。しかし、原爆投下を日本が日蓮の正法を誹謗した報いとしている点は、はっきりいって改めるべき大きな問題ではあります。
確かに、大乗仏教としての日蓮宗破門前後の創価学会は多くの慈善事業を行っていますし、ほぼすべての国に支部があることは認めるべきですが、折伏などを行うことは、実は本来の大乗仏教の教えにはありません。これは、あくまで日蓮宗の日蓮聖人の教えにあるだけです。しかも、折伏は社会問題になったのにも関わらず、どの日蓮系宗教も、大きなところは改めようとはしませんでした。
教えは大切です。もちろん、心の良い人がいるなんてことは当然の事実です。絶対悪などというものがあれば、本当に見てみたいと思います。キリストも原典は恐らく正しかったと思います。また、ヨーロッパやアメリカ各国における根底にある教えは非常に大切だと思います。
また、仏教の教えや各宗派の教えも正しいものが多いですが、矛盾することもまた多いです。
はっきり言って、宗教の教えは大切ですが、問題はそれを信奉する人間の心であって、真に教えを持っているのは開祖のみだと思います。それ以上の人は、おそらくいないと思います。だからこそ、人々の心が真に問われるでしょう。しかし、本当に心温かき、そして見識深い人間というのは、意外と現存の宗教には頼らないものだというものは、事実としてあります。
宗教の問題は、教えよりもそれを利用する側にあると思います。少なくとも、電話盗聴、言論出版への弾圧は、宗教団体としてやってはいけないことではないでしょうか。ましてや、仏門に帰依する人間が、他者の葬式に祝電を出すことを黙認する宗教団体は多くあります。これが正しい教えだとは思いません。
真に正しい教えというのは、恐らく何所にも無いのだと思います。問題は、人それぞれが努力し、思いやり、尊重しあい、すべてのことを考えることが大切なのであって、それを指し導くのが宗教ではないでしょうか。
経験は大切です。ましてや、今、偏見というものが多く、創価学会の人間であるというだけで、結婚を破棄する人もいますし、逆に、創価学会に入会しなければ結婚を認めない方もいらっしゃいます。
ただ、別段創価学会に入会し、行動することが間違いであるとは言いません。芸能人にも多くの学会員がいますが、それらの心の支えになっているのも事実でしょう。ただし、この教えを単一の教えとすることはできないとも同時に思います。 JING
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議論はもう、ここまでの様ですね。
これから先は、私自身が学んで、見て判別すべきだと思います。
とても勉強になる意見ばかりで、新たに発見する事も得たモノも沢山ありました。
有難う御座いました。
また新たなスレを立てたら、その時は、また意見を交わしてくだされば嬉しいです^^
創価学会については私よりも見識が深いようなので、また、私自身浅いので、
反論は出来ないです。申し訳ないです。
只、勉強にはなりました。
もう一度、御礼を申し上げます。
有難う御座いました。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@KD124208186038.ppp-bb.dion.ne.jp>
▼空汰さん:
私もそうだと思います。長い間お付き合いいただきまして本当にありがとうございました。どうぞ、より良い学びを得られますよう心から祈らせていただきます。
では、また次の機会がありましたら、そのときにお会いできれば幸いです。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i220-109-108-118.s02.a001.ap.plala.or.jp>
もっともっと宗教の起源は単純的なものだった。原始の社会は平等だから。しかし富が増えれば増えるほど社会の不平等を生み出しので統治者が国民をより支配しやすいにしようと宗教に目をつけて権力を駆使し宗教を利用して国民の精神をコントロールしてきました。怖いのは宗教自体ではない、本当の怖いは宗教が政治と権力に利用され国民を煽りし狂熱になって侵略戦争に加担してしまう事!!
<DoCoMo/1.0/SO505i/c20/TB/W21H09/serNSOFA315932@proxy157.docomo.ne.jp>
レス、有難う御座います。文章を、ちゃんと読んで頂けたのでしょうか?
かがみさんの意見と私が提示した議論は論点がずれていると感じます。
もしかしたら私の書き方が誤解を招く書き方だったのかもしれません。
そうなのだとしたら、申し訳ないです。
が、確かに題は「宗教の怖さ」と題しておりますが、それは、
皮肉を使っているだけでそこが議論のテーマではない事は、文章をきちんと読んで頂けたら判ると、考えているのですが。
<sage>
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