様々な話題をみんなで真面目に語り合う場です。
反論、批判は大いに結構ですが、単なる誹謗中傷は削除されます。
暴言と取られないように、言葉を選んで議論してください。
ツリーが大きくなった場合は新しいツリーへ。
※ここはゲイサイトです。
返信は記事右上のメールマークより匿メールをお使い下さい。
詐欺被害の報告が多発しています。売り専の勧誘、薬物・物品販売などのメールは無視して下さい。
管理人を騙ったメールが送信されていますが、当サイトから警告や通報のメールを送ることはありません。
サポの書き込みはサポ専用掲示板に。18禁、マジメ、写真での募集投稿は削除します。
|
あだち
- 06/12/27(水) 16:27 -
|
「勝手メール」おゆるしください。
■□■□■ 「イジメと戦う武器」 ■□■□■
イジメは人間が動物本能に還ることです。
動物の世界は弱肉強食、強いものが勝ち、
弱いものが滅びる「強者生存」の場です。
イジメられなくなるには「弱者」にならぬこと
です。相手に食べられないことです。
ライオンはヤマアラシの針にたじろぎ、ス
カンクの放屁に逃げ出します。相手に立ち
向かう武器をもつことです。
その「武器」は真理のコトバです。
真理の言は「こころ」にあります。言はいのち
であり・光であり・剣です。
あなたがこの言を身に帯びると、ヤミである
相手は自分の持たない「武器」に戸惑いを覚
えます。
ヤミは「光」に立ち向かえないことを、ヤミ自身
である相手がよく知っているからです。
真理のコトバは「新約聖書」にあります。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@p2214-ipbf1705marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp>
|
JING
- 06/12/27(水) 17:38 -
|
▼あだちさん:
私見で申し上げます。
現代のいじめにおける問題は、言葉云々では解決しないところまで到達していると考えていいと思います。私は18になりますが、おそらく私の年齢の価値観でさえ、現代のいじめというものを正確に捉えることは出来ないのでしょう。その理由は、もうすでに常識が無いといわれている私達の年代の常識でも、おかしいと思うようないじめが存在しているからです。
実は、原因の大半は親にあるはずです。各PTAにいらっしゃる親の方々の不見識ぶりは、子供の常軌を逸した行動もうなずけるほどのものがあります。
確かに、言葉は大切です。大きな意味で言えば、これも言葉になるのかもしれませんが、私の提示する解決策は、子供達に妥協点を与えないことです。といっても、具体的に言えば、小中学校であっても、いじめがあれば、学校側は教育的指導ではなく、被害者側の意見を尊重しつつ、警察に通報する。ということです。
一度、郡部の小学校に演劇を教えるため、総合の時間を理由に教壇に立ったことがあります。その後、私の住んでいる所では、演劇が随分と学校で取り入れられたのですが、郡部と私が住んでいる市の大きな違いは、郡部の子供の方がよほど常識を持って行動できるということです。
一番腹が立ったのは、総合の時間において市内の小学生を教えていたところ、急に集団の中から出て行って行動する子供がかなりの数いたことです。もっとも重要なのは、それを注意した時に『これが僕の個性です。それを尊重しないなら、両親と教育委員会に訴えるぞ。』と、言われたことです。
これが、現代の言葉の実態です。子供は確かに言葉という武器を持ちました。しかし、その武器によるリスクも理解せずに、内容も理解せずに武器を持たせるわけにはいきません。そのときに『私は教職員で無いから、教育委員会に訴えて結構。今ご両親をお呼びして、君の行動を全て報告した上で、先生達の意見も聞いてみよう。』というと、あっけないほど大人しくなります。これの理由は、1つの武器、そして、その作り方や使い方は知らないのにもかかわらず持っている。という恐ろしいところにあるのではないでしょうか。
私は、イジメと戦うのは、正道だと思っています。強者とは、別段力だけではありません。知識もあります。智無き者達が集団になって理不尽なことをすればどうなるか。これは、そのような輩に十分に教え込んでやる必要があります。ただし、それは、最初は過激なほうがいいのです。妥協せずに、暴力を受ければ『傷害罪』、金を脅し取れば『恐喝罪』、悪態をつけば『人権侵害』、殺されたとしても、その遺族は辛いでしょうが立ち上がらなければならない時代になってしまいました。今、いじめをしている人々をのさばらせて置けるほどの時代ではありません。そのような輩は根本から自分達が間違えていること、そして、同時に改めなければいけないことを教え込まなければならないのだと思います。
あだちさんの仰ることはごもっとも。私は、キリスト教の新約聖書自体好きではありませんが、言葉が武器となるのは事実です。しかし、今はその武器を持つには時期尚早なのではないか、と私は思います。それよりも、もっと簡易的で打撃力が強く、尚且つ副作用も強いものを使用したほうが私は言いと思います。 JING
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@i125-203-2-215.s02.a001.ap.plala.or.jp>
|
アジサイ
- 06/12/29(金) 8:53 -
|
▼あだちさん:
「いじめ」に関する番組や特番を組む局が
増えていく中で 思うこと。
いじめ=犯罪の始まりであることです
恐喝・殺傷・言葉の暴力
他人を陥れて自分が満足することは
誰にでも起こりうることとして
自分自身に問うてみてください
きっと日常生活思い当たる箇所があるはずです
傷つけられた過去の時間で生きるより
なぜ今を生きれないんでしょうね?
過去の痛みの方が喜びより 勝るのも
過去の痛みの方の意味が大切だから
その先に待っている出会いの喜びまで
辿り着けないでいる時間は 自分や第三者を苦しめることに
気づいていないと思う
その間の時間は過去の時間で 今を生きていない心が何も感じていない
自分だけは棚にあげておいて
感情を自分以外の誰かにぶつけるのは 駄々をこねる子供です
感情や悩みの苦痛が通過点で いずれ解決へと向かうために
人一人より
社会全体がよくなることを 一人一人が行動する事にこそ
人が必要とされる糸口があるような気がすると思いました
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@softbank221027078044.bbtec.net>
だいぶ焦点がずれている気がする。イジメは、なにげない仕草、行動、容姿、発言…ほんの些細な事から始まるんだよ。問題なのは、「あいつのああいうところがムカつくから、イジメようぜ」。何故「君のそういうところは良くないよ」ってならないのか、イジメはイジメられている子の親とイジメを先導している子の親に問題があるように思う。子供は100%被害者だよ。
<KDDI-SA35 UP.Browser/6.2.0.9.1 (GUI) MMP/2.0@wbcc2s02.ezweb.ne.jp>