「検索」で過去の投稿も参考にしてみてください。
以下は削除されます。
・疑問や質問、悩みとは言えない相談など(「Q&A 」へ)
・第三者を巻き込むおそれのある悩み相談
・専門家らが対処すべき重度の問題を含む悩み相談
例)重度の金銭トラブル、病状の診断、犯罪告白など
※ここはゲイサイトです。
返信は記事右上 のメールマークより匿メールをお使い下さい。
詐欺被害の報告が多発しています。 売り専の勧誘、薬物・物品販売などのメールは無視して下さい。
管理人を騙ったメールが送信されていますが、当サイトから警告や通報のメールを送ることはありません。
サポの書き込みはサポ専用掲示板 に。18禁、マジメ、写真での募集投稿は削除します。
最近、好きな人にカミングアウトしようかどうか迷っています。
その人(以下、Y)とは大学の同級生で、自転車ツーリングのサークルで4年間一緒でした。夏休みや春休みになるとYやサークルのメンバーの何人かと一緒に自転車で全国を旅して、はじめのころから好きだなという感情は持っていました。
去年の3月に大学を卒業した後、互いに就職先が近かったため、よく会うようになって、普通の世間話から個人的な悩みまでいろいろ話すようになりました。
同じサークルといいながら、自分が口下手であるために、大学のときはそこまで深く話すことがあまりなかったので、大学の時よりも親密度が増してきたかなと自分では勝手に思っています。
ただYはノンケで、高校や大学のときに彼女がいたときもありました。最近会うときは最後のほうになると彼女がほしいとか結婚したいとか、子供を育てるなら云々…と話をしてきます。
ただですら会った後は寂しくて辛いのに、そういった話を聞くとさらにしんどくなってしまいます。
そのため、いっそカミングアウトして自分の正体や気持ちを伝えたほうが良いのではないか…と最近は思っています。
ただ、カミングアウトしてしまうと大学の頃よりも仲良くなってこれたのに、一転して微妙な関係になってしまいそうで恐いです。
また、友人としての関係だけではなく「俺はこんなやつと旅をしていたのか」とYの大学4年間での旅や日常の思い出まで嫌なものにしてしまうことも恐いです。
なので、相手に迷惑をかけてでも自己満足を得るためだけならやらないほうが良いのではとも思い、結局どうしたら良いんだろうと悩んでいます。
ここまで書いておいて、以下のことを書くのも変ですが、
その人のことが本当に好きなのかどうか疑問に思うときもあります。
確かにYが好きだという感情は持ってはいるんですが、どちらかというとYのことを考えるとき、大半は抱かれたりとかキスをしたりとか、そういった性的な妄想になっていて、結局Yは性的欲求の対象でしかないのかと思ってしまいます。
でもこれも好きであるという一つの形なのでしょうか。
それに、会った後はものすごく寂しくなるのに、仕事に追われて時間が過ぎていくうちにYのことがあまり気にならなくなってしまいます。(でも、また会うとやっぱり好きだなという気持ちが蘇ってきます。)こうなってしまうと本当に好きなのかどうか分からなくなってきます…。
長々とまとまりのない文章ですみませんでした。
本当によくある相談事で申し訳ないですが、何かアドバイスしていただければ幸いです。
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.1.8) Gecko/20100202 Firefox/3.5.8 (.NET CLR 3.5.30729) @204.249.213.113.west.global.alpha-net.ne.jp>
答えを、このサイトで求めているのはどうして?
結局、後悔するのは自分だよ?返事をした人には、知らんぷりするだけかも知れない…
だから、人の意見に傾けず、自分の気持ちを大事にしたら、どうでしょう?
人の意見で後悔するより、自分で決めて後悔した方がいいに決まっている…
もし、それを考えた上で、このサイトに質問をしているのなら…
私は何も言いません。
<KDDI-SA3A UP.Browser/6.2.0.13.1.4 (GUI) MMP/2.0 @05001012778703_ab.ezweb.ne.jp>
いきなりカミングアウトするのはやめた方がいいのかもしれません(´`)仕事帰りに飲みに行って、そこでまたYさんが「彼女欲しい」とか言ったら、「毎回彼女欲しい言うてるやん(笑)そんなに彼女欲しいんやったら俺が彼女なったるやんけ(^O^)」みたいに言ってみたらどうですか??相手に理解があるかどうか分かりますし、理解がなさそうやったら冗談にして水に流せますし☆*
<KDDI-SH3D UP.Browser/6.2_7.2.7.1.K.4.303 (GUI) MMP/2.0 @07002150928128_es.ezweb.ne.jp>
カミングアウト
ゲイリブがよく主張する「カミングアウト」ですが、日本人のホモでカミングアウトしている人間は、まだ少なく、やはりカムアウトという行為は日本の文化風土には馴染まないようです。
日本文化は、互いに自己主張を抑え、代わりに相手の気持ちを察しあうことで円滑なコミュニケーションをはかる文化です。
そのような文化の下では、自己主張の強い人間は当然、嫌われますし、逆に相手の気持ちを察することができない人間は「空気の読めないヤツ」と呼ばれてつまはじきにあってしまいます。
カミングアウトして自分が同性愛者であることを周囲に広言することは、自己主張以外のなにものでもないし、
日本でそれをやってしまうと、ホモフォビアの強い欧米のように反感は受けなくとも、周囲がなんとなく引いてしまい、ヘンにきまずい雰囲気になってしまうと聞いたことがあります。
もっとも、カミングアウトの本場である欧米でも、カムアウトしているゲイは、まだまだ少数派で、クローゼットが圧倒的に多いそうです。
1970年代にサンフランシスコのゲイ解放運動のリーダーとして活躍し、後に政敵により暗殺されたハーベイ・ミルクという有名な活動家が、生前、ゲイ仲間にたいしてカミングアウトすることの重要性を説いていたにもかかわらず、
死んだあと、彼自身は自分の親きょうだいに同性愛者であることをカムアウトしていなかったことが判った、という冗談みたいな本当の話があるくらいです。
数年前、タイのパタヤのゲイビーチで会った、ずっとイギリスで会計士として働き、今はパタヤで引退生活を楽しんでいるという60過ぎのイギリス人から、イギリスに住んでいたとき、自分がゲイであることを隠して生きていて、
それがいかに辛かったかという話をめんめんと聞かされたことがあります。
欧米でも会計士のような堅い職業についている人間はなかなかカミングアウトできないみたいです。
私自身についていえば、やはりカミングアウトするだけの勇気はありません。
同性愛者であることを公言して堂々と生きている人はご立派だと思いますが、自分はそこまでできないし、
またそこまでしなければならない理由も見つからないというのが正直なところです。
ただ、親しい友人には男女を問わず、またホモとノンケを問わず、自分がホモであることは告白しています。
親しい友人には当然、自分がどういう人間か知ってもらいたいし、そのためにはまず自分がホモであることを知ってもらうことが必要ですからね。
あと最近はさすがにそういうことは少なくなってきましたが、若い頃は女性と友達になりたいと思って近づくと、恋人になりたくてすり寄ってきたのか、と誤解されることがありました。
それで女性と友達になりたいと思ったときは、あらかじめ自分がホモであることを告白し、「あなたと男女の仲になりたいと思っているわけではない。ただの友人になりたいだけだ」と断るようにしていました。
これって下手すると、相手の女性が「あたしって女としてそんなに魅力がないのかしら」などとむくれてしまうので、言い方にけっこう気を遣う必要があるのですが、
さいわい、私が友人になった女性たちは、私の気持ちをよく理解してくれて、普通の友人として付き合ってくれました。
あとノンケの友人も一人を除けば、ホモだと告白しても、それで私にたいする態度が変わるようなことはなかったです。
一人だけ態度が変わった奴がいたのですが、あとで別のことで友人になるだけの価値がない人間であることが判り、私の方から付き合いをやめてしまいました。
そういう意味では、友人にホモであることを告白することは、その友人が本物の友人であるかどうか確かめるリトマス試験紙の役目を果たすことになるかもしれません。
次に家族ですが、私は親きょうだいにはホモであることを告白していません。
ただし、親もきょうだいも私がホモであることを薄々勘づいてはいると思います。
いい齢をして独身だし、身辺に女の影も見えませんからね。
それでも向こうはあえてそのことには触れようとはしないし、私も触れようとはしません。
お互い同性愛の話題には触れないというのが暗黙の了解のようになっているのです。
まるでアメリカ軍のDon't Ask Don't Tellポリシーみたいですが、私はそれはそれでかまわないと思っています。
私の親は典型的な日本の庶民で、間違っても「私の自慢の息子はゲイです」などと書いたTシャツを着て、ゲイパレードに参加するような種類の人間ではありませんから。
もちろん、これはあくまでも私の場合に限っての話であって、友人で親にカミ
ングアウトしてうまくいっている例もありますし、親きょうだいに告白するかどうかは、ガンの告知と同様、あくまでもケースバイケースで考えるべき問題だと思います。
話は変わりますが、私は日本のホモが置かれている状況は、在日朝鮮人や韓国人など、在日と呼ばれている人たちの境遇に似ているんじゃないかと思っています。
在日もホモも外観だけでは、普通の日本人あるいはノンケと区別がつきません。
つまり、在日もホモもその事実を隠そうと思えば、隠すことができるのです。
在日にとって通名と呼ばれる日本名を使うことは、ホモにとって自分のセクシュアリティーをオープンにしないことに相当し、
逆に在日が自分の出自を隠さずに本名を使用することは、ホモにとってのカミングアウトに相当するんじゃないでしょうか。
以前、NHKで在日朝鮮人をテーマにしたドキュメンタリー番組を見たことがあるのですが、その番組に登場した神戸に住む在日朝鮮人の中年女性がとても興味深い話をしていたのを覚えています。
彼女は通名(日本名)を使って生活しているのですが、彼女の近所の人も、職場の人間もみんな、彼女が在日朝鮮人であることを知っているのだそうです。
ところが通名でなく本名の朝鮮名を使うと、周囲の日本人との仲がギクシャクしてしまい、コミュニケーションがうまくいかなくなるんだそうです。
それで通名を使うことにしているとのことでしたが、その話を聞いたとき、「なるほど、そういうことか!」とストンと納得できたような気がしました。
つまり、日本社会というのは「あなたも私も同じ人間だよね」という暗黙の了解というか前提に立って仲良くする社会で、
そこであえて朝鮮名を使って自分が異質な人間であることを主張することは、全体の和を乱すことにつながり、それで嫌われるんじゃないか・・・というわけです。
ただ、日本の社会は、表面的にみんなに合わせることを要求しても、個人のプ
ライバシーまでは干渉してきません。
たとえば、その在日朝鮮人女性の本名が金さんで、通名が山田花子だと仮定した場合、家の外では山田花子で通していても、家に帰って元の金さんに戻っていくらキムチを食べても、だれも文句は言わないのです。
日本人のホモにとって、カミングアウトするかしないかがそれほど深刻なテーマにならないのは、ひとつには日本人の行動を規制するのが世間だからで、
世間というのは世間体さえ繕っておけば、プライベートまで干渉してこないのです。
日本人には元々、世間に見せる顔とプライベートな自分を区別する傾向がありますし、その2つを使い分けることに心理的に抵抗がないんじゃないでしょうか。
反対に欧米のキリスト教文化圏では、人間の行動を規制するのはキリスト教の神様で、キリスト教の神様は個人の内面にまで干渉してきます。
で、その神について書いた書物である「聖書」に、同性愛は悪であるとはっきりと書いてあるわけですから、欧米人のゲイには、日本のホモみたいに逃げ場がないんですね。
同じ一神教で同性愛を否定するイスラム教や、キリスト教でもカトリックの場合は、ホンネとタテマエを使い分けることで、宗教上の同性愛の禁止と現実の生活における同性愛的欲求の間に存在する矛盾をある程度、解決するというか、ごまかしているのですが、プロテスタントの場合は、そういう使い分けができません。
プロテスタントというのは、簡単にいうと、16世紀にカトリック教会の腐敗に対する反発から起こった宗教改革運動の結果生まれた、聖書の教えに忠実に生きることをモットーとする原理主義に近いキリスト教の宗派の総称です。
イスラム原理主義もそうですが、原理主義というのは、ホンネとタテマエの使い分けを認めないんですね。
で、プロテスタントの中でも特別に原理主義的な傾向が強い清教徒が新大陸にわたって創った国がアメリカ合衆国で、その結果、アメリカは世界一ホモフォビアの強い国になったわけです。
このアメリカが世界一ホモフォビアの強い国であるという事実こそが、アメリカでゲイリブの運動が起こった最大の要因であると私は考えています。
アメリカのゲイリブ運動の発端は、1969年にNYのグリニッジ・ビレッジのストーンウォールというゲイバーで、度重なる警官による手入れと嫌がらせに対して同性愛者が反撃を開始した、いわゆる「ストーンウォール事件」であるといわれています。
このような事件は、当時、NY州を含むアメリカ全土で同性愛を禁止する法律が存在し、アメリカの同性愛者たちが厳しい差別と弾圧に晒されていたという事実がなければ起らなかったでしょう。
アメリカの同性愛者たちは、ゲイバーという隔離された場所の中でさえも、いつ警察の手入れがあるかわからない状況で、びくびくしながら過ごしていたのです!
ストーンウォール事件が起こった1969年当時、日本にも新宿2丁目界隈に相当数のゲイバーが存在しましたが、同性愛を禁止する法律が存在しない日本では、警察によるゲイバーの手入れなんて考えられないことでした。
ついでにいっておきますと、最近の日本の若いホモの中には、「昔の日本のホモは隠花植物のようにひっそりと人目を避けて生きていた」などという自称ゲイリブ活動家が吹きまくる与太話を信じている人もいるみたいですが、そんなことはありません。
60年代の終わりから70年代初めにかけての新宿は、今では想像もできないような熱気に溢れていて、ホモ、レズ、ドラッグ、なんでもありの解放区のようなところでした。
私なんか、仲通りの真ん中を友達と手をつないで、大声で歌をうたいながら歩いてましたヨ!
日本でアメリカのようなゲイリブ運動が起こらなかったのは、別に日本が遅れていたせいでなく、その必然性がなかったからです。
日本にはアメリカのように同性愛を禁じる法律は存在しませんし、アメリカのような宗教感情に根ざした激しいホモフォビアも存在しないのです。
アメリカの軍隊では同性愛者の兵士を受け入れるかどうかで喧々諤々の議論が沸き起こりましたが、日本では自衛隊がホモの入隊を禁止するなんて考えられないことです。
同性愛に不寛容なキリスト教原理主義と同性愛を含めた性にたいして寛容な仏教的文化風土の違いです。
私は同性愛というのは文化であって、日本の同性愛文化は、その基盤となる日本文化を抜きにしては考えられないと思っています。
同様にアメリカのゲイカルチャーは、その基盤となるアメリカ文化を抜きにしては語れません。
実際、アメリカ人ゲイの自己主張の強さ、闘争心、政治への関わり方などを見ていると、彼らはよくも悪くもアメリカ人だな、という印象を受けます。
日本とアメリカの文化風土は殆ど対照的といっていいほど異なり、そのようなアメリカとは対照的な文化風土を持つ日本にアメリカ流のゲイカルチャーを移植しても根付くはずがありません。
カミングアウトと同様、一時のファッションというか、流行として終わってしまうのが落ちでしょう。
あたり前のことですが、われわれ日本のホモは、ホモである前に一人の日本人なのです。
日本の自称ゲイリブ活動家にいいたい。
日本人としての誇りも持てなくて、なにがゲイプライドだ!
「俺達は日本人ではない」という声が返ってきそうですが・・・
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; YTB720; GTB6.4; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; Media Center PC 5.0; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30618) @EM114-48-28-201.pool.e-mobile.ne.jp>
ジャックさんの
そのような文化の下では、自己主張の強い人間は当然、嫌われますし、逆に相手の気持ちを察することができない人間は「空気の読めないヤツ」と呼ばれてつまはじきにあってしまいます。
カミングアウトして自分が同性愛者であることを周囲に広言することは、自己主張以外のなにものでもないし
↑はなんか少し違う気がします。
ゲイだとカミングアウトするからといって相手の気持ちを察していないわけではないと思います。
もしカミングアウトをした相手が受け入れられないなら、距離を置くなりすればいいし自分なりに相手のことを考えればいいでしょう。
別にゲイだとカミングアウトするからってそれイコール自己主張ともちょっと違う気がします。男友達とタイプとか女の好みとかを話すのと同じように自分は男が好きなんだと言うだけでしょう。
まあヒデさんの場合は好きな相手にカミングアウトするということで複雑ですが・・・
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; GTB6.3; .NET CLR 1.1.4322; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729) @i1089113.icntv.ne.jp>
ジャック
- 10/3/14(日) 16:57 -
▼っふぁさん
ゲイリブにかぶれている日本の一部のホモは、二言目には「同性愛者は差別されている」といいます。
われわれホモは本当に差別されているのでしょうか?
特別、差別されているわけでもないのに、ちょっと悪口を言われたり、からかわれたりしただけで「ゲイバッシングされた!」と大げさに騒ぎたて、自分の言動を批判されるとすぐに相手を「ゲイフォビア」と決めつける痛い連中が多すぎるように思います。
以前、NHKの衛星放送で、アメリカで製作された「肥満」をテーマにしたドキュメンタリー番組を見たことがありますが、その番組にもの凄く太った若い女性が出てきて、
「私はこれまで太っていることで他人からサベツされたことは一度もない。私の友達にやっぱり太った女の子がいて、石を投げられたことがあるといってたけど、彼女はたとえ痩せていても石を投げられるような人だから・・・」
というのを聞いて思わず笑ってしまいました。
実際、「同性愛者であるという理由で差別を受けた」と主張する人間の話をよく聞いてみると、サベツされたり、イジメを受けたのは、彼がホモであるからではなく、その性格に問題があるせいじゃないかと思えるケースが多いでんすよね。
元々、コンプレックスや被害者意識が強く、僻みっぽく、いじけた性格で、人とうまく付き合うことができず、無意識に人に嫌われるような言動をとってしまう人間が、
偶々、ホモであったり、太っていたりすると、その点を攻撃されて苛められたり、サベツされたりするわけで、サベツの本当の理由は性的嗜好や肥満にあるわけではないのです。
「だからといって、イジメやサベツが許されて良いはずはない!」といわれるかも知れません。
そのとおり。それが正論です。しかし、この世の中は不合理なことや不条理なことで満ち満ちていて、「サベツは良くない」という正論だけで生きていけるほど単純ではありません。
サベツは世の中のいたるところに存在しますし、それに対していちいち文句や泣き言をいっていてる暇があったら、サベツに負けない強い人間になるように努力した方が早いんじゃないか、と私なんかは思うわけです。
私は差別には、法律上の差別や制度的な差別など「公的な差別」と個人の心の中に存在する差別意識から生じる「私的な差別」の2種類があると考えています。
法律上の差別や制度上の差別が存在する場合には当然、そのような差別は撤廃する必要があると思いますが、
たとえそのような公的な差別がなくなったとしても人間の心の中の差別意識まではなくなりません。
そしてこの人間の心の中に存在する差別意識までなくそうとすると、往々にして偽善に行き着いてしまいます。
たとえば、学校における生徒間のイジメが問題になってから久しいですが、様々な対策が講じられているにもかかわらず、イジメがいっこうになくならないのは、
逆説的に聞こえるかもしれませんが、「イジメは良くない!」と叫びすぎることに原因があるような気がします。
本来、子供はイジメをする動物だという認識をもって、少々のイジメは許容し、それが自殺などの大事に至らないように監視し、同時にイジメを受けている生徒を励まして、
多少のイジメにはへこたれない強くて逞しい子供に育てるように努力する方が実際的な解決法につながるんじゃないでしょうか。
いくらイジメはよくないとオトナがいっても、そういうオトナ自身、常日頃、イジメやサベツを行っています。
また教師達の間でも、日教組に入っている教師とそうでない教師の間に対立が存在し、一方が他方をサベツしたり、イジメたりする現象は日本全国の公立学校で起っています。
オトナ自身が人をサベツし、イジメておきながら、子供にサベツやイジメはよくないと教えても、子供達が納得するはずがありません。
その結果、表面的にはイジメをしているように見えなくても、水面下ではイジメをしているというようなイジメの陰湿化を招いてしまうのです。
そして陰湿なイジメの方があけっぴろげなイジメよりずっと子供心を傷つけるのです。
若い頃、ヨーロッパに住んでいたとき、通りすがりの人間からよく「日本人の馬鹿野郎!」とか「アジアに帰れ!」などと罵声を浴びせかけられました。
その話を人にすると、「そんなことをいわれて、随分と傷ついたでしょうね」などと同情されますが、別に傷つきなんかしませんでした。
その程度のことでいちいち傷ついていたら、ヨーロッパなんかに住めませんヨ!
それよりも不愉快だったのは、レストランに入ってもウェイターが中々、注文を取りに来ないとか、一見してサベツのようには見えない、巧妙で陰湿なやり方でサベツされることでした。
こういう形のサベツをする人間というのは、サベツは良くないということがちゃんとわかっていて、サベツされたと言いがかりをつけられないようにサベツをするわけですから、こっちの方がよっぽど悪質です。
それに較べると面と向かって「日本人の馬鹿野郎!」とはっきりいう人間の方がまだ可愛げがあるというか、少なくとも直接、悪口を言われた場合には、こちらも言い返すことができますし、
そういう言葉を口にする人間というのは、スキンヘッドの若者とか外国人に仕事を奪われて失業中の労働者とか、その国の社会の底辺の階層を構成している連中が多く、「可哀想な奴だ」と相手にせずに無視することができます。
いずれにせよ、私は、人間というのはほかの人間を差別しなければ生きていけない哀れな動物だと思っています。
人間は「あいつに較べりゃ、俺の方がまだマシだ」と思える人間がいないと生きていけないのです。
以前、ニューヨークに2年間、住んだことがあるという女性が、エッセイで「アメリカでは人を差別しないと生きていけない」と書いているのを読んで、この女性は随分と正直な人だな、と思ったことを覚えています。
下手なことをいうと、すぐにサベツ主義者だのなんだのと非難されかねない昨今のご時世では、こういうことは中々、口に出していえませんからね。
しかし、彼女の言っていることは多分、本当だと思います。
ニューヨークでは、プエルトリコ人は黒人よりも下に見られて差別されているけど、そのプエルトリコ人はドミニカ人を馬鹿にして差別し、ドミニカ人はドミニカ人でハイチ人を見下して差別していると聞いたことがあります。
人種のモザイクといわれるアメリカ社会では、WASPを筆頭に人種のランキングができあがっていて、上位にランキングされている人種が下位の人種を差別し、
その下位の人種がさらに自分達よりも下位に位置づけられている人種を差別することで、「あいつらに較べりゃ、俺の方がまだマシだ」と思いながら、厳しい競争社会を生き抜いているという現実があるのでしょう。
自分達は差別される存在であると規定する、アメリカのゲイリブの理論家も、
「現代的なゲイは、従来の女性的なオカマというステレオタイプを拒否して、男性としてのアイデンティティーを持ち、同じように男性としてのアイデンティティーをもつゲイと対等の関係を築く」
と主張して、自分達を少年愛者や女装者と区別し、後者を差別しています。
また以前、会ったことのあるアメリカの日系3世のゲイによると、アメリカではアジア系のゲイは白人のゲイから「アソコが小さい」などといわれて馬鹿にされているそうです。
人間は人を差別しないと生きていけない動物だし、差別は世界中、いたるところに存在しますが、特にアメリカで差別が強いのは、それだけアメリカ社会がストレスの強い社会であることの裏返しでしょう。
アメリカで黒人解放運動、ウーマンリブ運動、ゲイリブ運動などの差別に反対する運動が起こったのは、アメリカ社会がそれだけ差別の酷い社会であったからで、何度も言いますが、それは羨むようなことではなく、むしろ同情すべきことなのです。
アメリカのゲイリブにかぶれて、アメリカ人でもないのに「同性愛者は差別されている」と主張する日本の「ゲイ」は、
実際にアメリカ社会でいまなお差別に晒されているアメリカ人ゲイと自分を同一視することで、自分の被害者意識をアメリカ人ゲイに投影しているのです。
彼らは、自分をアメリカ人ゲイと同一視するあまり、自分が日本人であるという単純な事実を見ようとはしません。
冷静に日本の状況を観察すれば、日本における同性愛者差別はアメリカなどとは較べものにならないくらい小さいことがよくわかるはずです。
まず、日本には同性愛を禁止する法律は存在しません。
日本人はこのことを当然のように考えていますが、世界には実際に施行されることのない形だけの法律も含め、同性愛を禁止する法律が存在する国が多数、存在し、
ゲイリブ先進国といわれるアメリカでもいまだに13の州で同性愛が法律で禁止されているのです。
また日本では職場で同性愛者が差別されるようなこともありません。
一流銀行の人事部で働く知り合いに、「銀行ではホモであることが人事の面で不利に働くことがあるか」と訊ねたところ、「それは絶対にない!」ときっぱり否定していました。
ただし、あるポスト、たとえば課長のポストが空き、そのポストに就く候補者が2人いて、2人の能力が同等であると仮定して、1人が既婚者で、もう1人が独身者であった場合には、既婚者の方が優先されるそうです。
つまり、重要なのはホモであるかどうかではなく、結婚しているかどうかということらしいです。
これは独身者に対する差別といえなくもありませんが、実際問題として、責任あるポストには独身者よりも家族持ちの方がふさわしいという考えは理解できなくもありませんし、
また独身者でも能力さえあれば出世できるわけですから、これくらいの「サベツ」は許容されるんじゃないでしょうか。
たまにホモであることが原因で会社をクビになったという話を聞きますが、私はそんな話は眉唾だと思っています。
冒頭で述べたように自分でそう思い込んでいるだけで、実際には仕事ができなかったり、職場の同僚との人間関係がうまくいかなくなってクビになったり、辞めたりするケースが大半なんじゃないでしょうか。
日本の会社では、仕事をキチンとやって、同僚との人間関係をうまく保っている限り、たとえホモであることがバレたとしても、クビになるようなことはありませんヨ。
テレビのバラエティーショーに出演しているオカマキャラのタレントみたいに、職場のアイドル的存在になっていて、女子社員と一緒になってキャーキャー騒ぎ、美味しいものの話とかファッションの話で盛り上がっているホモは知ってますが。
私自身、以前働いていた職場で、自分がホモであることでサベツされたことは一度もありませんでした。
私の場合はホモであることはカミングアウトしていませんでしたが、オネエであることに加えて、いい齢こいて独身だったので、ホモであることは、わかる人にはわかっていたと思います。
それでもそのことでからかわれたことはなかったし、仕事はわりと真面目にやっていたので、それなりに評価されていたような気がします。
一人だけ、「エイズが流行ってるから気をつけてネ!」といった奴がいましたが
というわけで、日本には同性愛者に対する法律的な差別や制度的な差別は存在しないと言い切っても良いんじゃないでしょうか。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; YTB720; GTB6.4; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; Media Center PC 5.0; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30618) @EM114-48-122-178.pool.e-mobile.ne.jp>
ジャック
- 10/3/14(日) 16:59 -
以前、アカーというゲイ団体が東京都を相手取って起こした「東京・府中青年の家」裁判というのがありましたが、
あれは私に言わせれば、ゲイリブ活動家を自称する連中が裁判ごっこをして遊んでいただけで、標的にされた東京都こそいい迷惑です。
いずれにせよ、日本で同性愛者が差別されている事実を鵜の目鷹の目で捜していたゲイリブ達があの程度の「サベツ」しか見つけることができなかったというのは、
逆にいえば、いかに日本が同性愛者に対するサベツの少ない国であるかの証明になるじゃないでしょうか。
ただ、前述したように公的な差別がなくなったとしても、人間の心の中の差別意識は残ります。
しかし、これを無理やりなくそうとすると、イジメの問題と同様、差別が陰湿化する危険があります。
たとえば、あるゲイリブ団体では、学歴が高くないと幹部になれないそうです!
かくいう私自身、日頃から若いイケメンには優しいけれど、ジジイには冷たいなど、しっかり人をサベツして生きてます。
もちろん、サベツが良くないことはよくわかっていますが、マザーテレサやダライラマのような聖人ならいざしらず、私のような凡人がサベツ意識を完全に捨て去ることは容易なことではありません。
そこで次善の策として心がけているのは、自分の心の中に存在する差別意識を認めた上で、なぜ人は人を差別するのか、その心理的メカニズムを理解し、
それをコントロールすることで、なるたけ自分の差別意識を表面に出さないようにすることです。
つまり、私にとってはこれはマナーというか、道徳の範疇に入る問題で、教養を身につけるということは、そのへんのコントロールがうまくできるようになることを意味するんじゃないかという気がします。
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; YTB720; GTB6.4; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; Media Center PC 5.0; .NET CLR 3.5.30729; .NET CLR 3.0.30618) @EM114-48-122-178.pool.e-mobile.ne.jp>
俺はモヤモヤして辛いのは勘弁だからカミングアウトする方だよ
振られたらかなり辛いけど
関係、壊れるのが嫌とか言ってるけど相手にとって自分はタダの友達にしか思われてない=自分が思ってても相手は何も思ってくれないってこと
そんな人に良い関係を続けようって思うのは虚しくないかな?
俺も最近、ノンケに振られたのにその人に会うとドキドキするし別に関係もそんな悪くない。
気を遣わないタダの友達って自分に言い聞かせてるよ
正直、今の状態は少し辛い
<DoCoMo/2.0 N01A(c100;TB;W24H16;ser359950012068923;icc8981100020618526313F) @proxy3173.docomo.ne.jp>