▼涙君
どう生きるか。
どう居るか、と言った方が正確だろうか。
ゲイとして。
男として。
人として。
そんな問いをすることがある。
人は錯覚で生きていると言っても過言ではないだろう。
根拠のない常識に縛られ、またそれにすがって生きている。
良いこととされていること。
悪いこととされていること。
その常識は、果たして本当に正しいのだろうか。
別に殺人が悪いこととじゃない、とかそういった類の話ではない。
ただ、何も考えずに常識を常識として生きていけば楽なのかもしれない。
でも、それでは真実が見えなくなってしまうのではないか。
はたまた既に歪められているのかもしれない。
そんな考えがふと頭をよぎる。
一般的に言う大人になる、ということは、ただ常識を当たり前だとして受け止めて、どんどん、本当はあったはずのニュートラルな考えを捨て、鈍感になっていくことに他ならない。
人は考える葦ではなかったのか。
考えなくなった人間はただの葦だ。
ただの弱い動物に成り下がってしまう。
どう居るべきか。
考え続ける人であろう。
悩み多き人であろう。
例え答えが見つからずとも。
そして、今日よりも明日がもっと素晴らしき日になるように少しだけ努力していこう。
それが自分自身の問への答えだ。