Page 725 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/22(金) 21:49 ┣Re(1):移動したけれど JING 06/9/22(金) 22:16 ┃ ┗Re(2):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/22(金) 22:25 ┃ ┗Re(3):移動したけれど JING 06/9/23(土) 22:34 ┃ ┗Re(4):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 23:14 ┃ ┗Re(5):移動したけれど JING 06/9/23(土) 23:57 ┃ ┗Re(6):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/24(日) 2:42 ┃ ┗Re(7):移動したけれど JING 06/9/24(日) 23:02 ┃ ┣追加。 JING 06/9/24(日) 23:17 ┃ ┃ ┗Re(1):追加。 パン屋さんでナタデココ 06/9/25(月) 2:21 ┃ ┃ ┗Re(2):追加。 JING 06/9/25(月) 21:14 ┃ ┗Re(8):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/25(月) 2:12 ┃ ┗Re(9):移動したけれど JING 06/9/25(月) 21:50 ┃ ┗Re(10):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/26(火) 1:24 ┣Re(1):移動したけれど 優 06/9/23(土) 0:42 ┃ ┗Re(2):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 1:15 ┣Re(1):移動したけれど まさ 06/9/23(土) 1:39 ┃ ┣Re(2):移動したけれど 夜光虫 06/9/23(土) 2:15 ┃ ┃ ┣Re(3):移動したけれど まさ 06/9/23(土) 3:10 ┃ ┃ ┃ ┣Re(4):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 3:22 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):移動したけれど 夜光虫 06/9/23(土) 16:40 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 21:19 ┃ ┃ ┃ ┗言いたいことがいくつか。。。 匿名 06/9/23(土) 22:56 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):言いたいことがいくつか。。。 パン屋さんとナタデココ 06/9/24(日) 1:09 ┃ ┃ ┣Re(3):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 3:17 ┃ ┃ ┗Re(3):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 3:31 ┃ ┃ ┗共感は凄くします ゆうた 06/9/23(土) 5:20 ┃ ┗Re(2):移動したけれど ばい 06/9/23(土) 16:37 ┃ ┗Re(3):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 21:21 ┃ ┗ごめんね ばい 06/9/24(日) 0:21 ┣ちょっと待って パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 3:27 ┃ ┗Re(1):ちょっと待って 氷魚 06/9/23(土) 11:19 ┃ ┗Re(2):ちょっと待って じょう 06/9/23(土) 13:51 ┣ぴよんぴよんぷー。 パン屋さんでナタデココ 06/9/23(土) 15:57 ┃ ┣Re(1):ぴよんぴよんぷー。 通 06/9/24(日) 1:04 ┃ ┗はじめまして! 東 伸之 06/9/24(日) 3:26 ┃ ┗Re(1):はじめまして! パン屋さんでナタデココ 06/9/24(日) 7:07 ┃ ┣Re(2):はじめまして! 氷魚 06/9/24(日) 17:51 ┃ ┃ ┗Re(3):はじめまして! 氷魚 06/9/24(日) 17:57 ┃ ┗Re(2):はじめまして! 東 伸之 06/9/25(月) 8:43 ┃ ┗Re(3):はじめまして! パン屋さんでナタデココ 06/9/25(月) 17:36 ┃ ┗Re(4):はじめまして! 東 伸之 06/9/25(月) 19:39 ┣僕が思ったこと 隆博 06/9/24(日) 1:37 ┣それでは パン屋さんでナタデココ 06/9/24(日) 3:12 ┣Re(1):移動したけれど ポテト 06/9/24(日) 9:52 ┃ ┗Re(2):移動したけれど パン屋さんでナタデココ 06/9/24(日) 17:18 ┣Re(1):移動したけれど 牛乳屋でタピオカ 06/9/24(日) 18:11 ┣終了! 中華屋で杏仁豆腐 06/9/25(月) 0:39 ┃ ┣Re(1):終了! コンビニでカップラーメン 06/9/25(月) 0:55 ┃ ┃ ┗Re(2):終了! ラーメン屋でチャーハン 06/9/25(月) 3:51 ┃ ┗Re(1):終了! JING 06/9/25(月) 21:52 ┃ ┗Re(2):終了! ラココ 06/9/26(火) 11:00 ┗はいじゃあ パン屋さんでナタデココ 06/9/25(月) 4:13 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 移動したけれど ■名前 : パン屋さんでナタデココ ■日付 : 06/9/22(金) 21:49 -------------------------------------------------------------------------
皆さんもう興味ありませんよね? それとも何か仰りたいことがございますか? |
▼パン屋さんでナタデココさん: 別段個々人に対しての発言ではありません。皮肉る気もありません。文面どおりにお受け取りください。強いて、例をあげるのならば、”悪質”の意味でしょうか。 これは、規制を守らない、または他者に迷惑をかける。という語意を含みます。ですから、上のほうにあるご発言で、悪質な発言。という部分に、パン屋さんでナタデココさんの発言が、ルールを遵守する側から悪質と判断されても、語弊であるとは言えても、言葉の意味としては正しいと考えます。 真剣語り場への移転、心より感謝いたします。 JING |
私としては、それは文脈から判断されるべきものと考えています。あの文脈から考察するに、簡単に「質の悪い」意味としての悪質が導き出せるのではないか、と思っています。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: 確かに、前後の文脈をパン屋でナタデココさんの目線で判断すれば、「質の悪い」という意味の悪質が該当すると思います。が、残念ながら、相手の方や周囲の方は、もともとパン屋でナタデココさんに悪意をもった視線を送っていますから、そのすべての発言を『悪質』と思っているのではないでしょうか。それに対する反論があるわけですから、そこまで考えていただきたかったです。かなり議論が続いていますが、その全部は正直申し上げて見ていません。というか、見れません。ですが、あまり生産的な議論はないのではないかと推察します。妥協しろとは言いませんが、もうすこしやわらかい物言いや、相手の言動を汲んだ発言があってもいいのかもしれません。 とは言うものの、かなり雑言や中傷の類が多いとは思います。その場合は無視されてもいいのではないでしょうか。 JING |
▼JINGさん: >▼パン屋さんでナタデココさん: > > 確かに、前後の文脈をパン屋でナタデココさんの目線で判断すれば、「質の悪い」という意味の悪質が該当すると思います。が、残念ながら、相手の方や周囲の方は、もともとパン屋でナタデココさんに悪意をもった視線を送っていますから、そのすべての発言を『悪質』と思っているのではないでしょうか。それに対する反論があるわけですから、そこまで考えていただきたかったです。かなり議論が続いていますが、その全部は正直申し上げて見ていません。というか、見れません。ですが、あまり生産的な議論はないのではないかと推察します。妥協しろとは言いませんが、もうすこしやわらかい物言いや、相手の言動を汲んだ発言があってもいいのかもしれません。 > とは言うものの、かなり雑言や中傷の類が多いとは思います。その場合は無視されてもいいのではないでしょうか。 JING 『悪質』については、一応想定内でした。誤って伝わってしまう可能性もわかっていました。ですが私はそれに配慮する必要性は持っていません。何故なら議論をしようと思っている方々に取っては、私の発言は『悪質』ではないからです。または、『悪質』だと捕らえるべきではないのです。議論に於いてはどの方面からの意見も等しく対等です。優劣良悪はありません。ですから私は貴方が指摘なさる部分まで配慮する義務はなかったのです。 また貴方との議論も、本来私が問題提起した議題からは外れた議論をしています。それはお分かりのことと存じますが、如何に思されますか。貴方は私の論理法の先生ではありませんよね。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: 関係ない。と思われてしまうのは、ちょっと残念です。決して論理法を論じているのではなく、根本を聞いているだけです。 それに、議論に質はあります。下劣な議論もあれば、上質な議論もあるはずです。多くの議論や、討論を聞けばわかるのかもしれません。 どの方向から見ても、議論にならない”程度”というのはあり、また、議論に対する誠意も必要です。でなければ、感情的な発言となるでしょう。感情的な発言は、議論に必要ないと思います。そもそも、一個人の感情に左右される程度の議論は、より見識的な人物によって解決されてしまうからだと思います。 それに加え、決して自分を正しいと思わないことも必要なのではないでしょうか。 さて、根本というのは、価値観の話をしています。残念ながら、パン屋でナタデココさんは、言動と行動に不一致な点があるように思えます。もちろん、会った事もない私の勝手な意見ですが、そう思った人間が一人でもいたということをお知りください。 あと、これは、完璧に私念ですが、あまり同意を求める皮肉は好きではありません。正直申し上げれば、それが好きな人間を幾人か知っていますが、高慢または、浅はかに見えてしまうのです。理由としては、私の考え方ですが、受け入れられるべき意見なら、同意を求める必要なんてない。と思っているからです。 また、義務があることだけをするのは、価値観によりますが、容認しない人も居るのではないでしょうか。 問題勃発の根本を正せば、配慮のなさではないでしょうか。それが、本来受け入れられるべき問題も、簡単に感情論に流れていったのだと思います。やはり、その程度は予知した上で未然に防ぐのが、真摯な対応、または、自らの意見を言う場合の最低限の義務ではないでしょうか。 JING |
多分、貴方とは議論に臨む姿勢が私とは大分違う方のようです。私は自分が持つ考察を正しいと自信を持って言えないのなら、それは無責任な考察なので公表しません。私は無責任な、未完成(だと思われる)考察を雄弁してしまうような輩にはなりたくない。ですが勿論、完璧ではないんです。間違ったところがあるのは承知なのです。でもそこを自分で見いだすことが出来ない。だからこそ意見を交換させるのです。 私の言動は一致していますよ。少なくともそういう認識で居る。私はこの掲示板では作品を発表しない。ですが書店に並んでいるものの中に、私の作品は必ずあります。勿論、中高生の戯れ言だと思って頂いても構わない。ですがどこかの教授と違って無神論者である私は天地神明に誓うことはないですが、一般的な書店に私の著作があることは、何人もが是と仰って下さるでしょう。 私は基本的に感情的な議論は好きではないので致しません。しかしながらそうと思われる記述があるのは認めます。それについては嫌みとでも皮肉とでも取って頂けたら構わない。フランスの文化人に倣ってそう致します。 受け入れられるべき意見とはどのようなものですか。私は同意を得ようという姿勢のない輩の意見など聞くに及ばないと思っている。受け入れられるべき意見などと驕り昂ることが出来るのは何故なのでしょうか。先程の記述と矛盾しているように思われるかもしれない。しかし私は私自身の見解は正しいと思っているが、私以外の人間にとってそうかと問われればわからない。 義務でないことはしなくても許される、ということです。しなければならないのなら、義務になっているでしょう。 未全に防ぐことなんて、所詮は無理なのです。机上の空論ではないから、思考実験ではないから、どう転ぶか予測出来ない。だからこそ私は杞憂する必要などない。そうだと思ったことを真摯に申し上げればそれでよいのです。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: では、私としても、もう少し攻撃的な姿勢で臨むこととしましょう。おそらく、貴方と議論する場合は、そのほうが接点を見出しやすいのではないでしょうか。 はっきり申し上げますので、多少の非礼はお許しいただけますよう。並びに、言動に虚実があるとは思っていません。その辺りは、信じてくださって構いません。 まず、ご自分のお考えに随分と自信がおありのようですが、間違いがあることを承知はしていても、納得はしておいででないのではありませんか?様々な観点から、貴方に物事を言う人たちがいると思いますが、好意的であれ、敵対的であれ、随分と否定的で、相手を卑下する態度を取られているように思います。皆さんにお聞きになれば、十分ご理解できると思うのですが、正直貴方はたとえ、大多数が是ということであっても、ご自分のこととなると認めようとなさらないのではないでしょうか。 意見というものは、確かに自信があったほうがいいでしょう。ただし、貴方の場合大変自信過剰に見えてくるのです。まず、貴方のお立場などはっきり言えば、ここで仰る必要性など殆どないのではないでしょうか。それを仰ってしまう点に自らを補強しようとする心が見えてしまうのは、私だけでしょうか。 確かに、文学的に低いと言わざるを得ない作品があの掲示板にあることは重々承知しています。しかし、あそこは切磋琢磨を目標とした場所ではありません。それぞれの自己満足のため、その作品の中から、各個人が、それぞれの好みにあったものを推奨し、賞賛しあう。ということが、目的の掲示板であると私は思っています。その点に関して、管理人さんのご意見はどうか知りませんが、貴方の仰るような、高品質の作品を作るための掲示板でないということは確かなのではないでしょうか。 言動に不一致があるというのは、議論に望むに当たり”議論を好む”という割には、相手の非ばかりをおうちになる。それこそ、揚げ足取りというものではありませんか。議論するのであれば、相手にも不備な点があるのは当たり前、その上で、相手の述べたいことを引き出し、間違えている点は自分で気付いてもらう。貴方の仰る甘くはない環境とは、こういった自律を指すものだと思っていたのですが、私の考えが、それこそ甘いのでしょうか。 受け入れられるべき意見。というのを、完全に指摘することは残念ながら出来ません。感情論が優先になっている状況を、あなた自身が構築しているからです。もしも、見るべき意見があるのなら”発言の仕方に気をつけては”というものではないでしょうか。確かに、貴方の仰っていることは、ある一点からは合理性に富むものだと思います。しかし、他者に受け入れられるようなものではないのだと思います。それは、聞く者を貴方の価値観で判断なさっているために、かなり配慮に欠けるものだからです。だからこそ、私は『こういう環境にしたほうがいい』と、言っている割に、随分と受け入れられないような表現を用いるものだから、この人は、言動と行動に一貫性がないなぁ。と思っていました。 未然に防ぐことは不可能ではありません。未然に完全に防ぐことが不可能なだけです。最大限の努力を怠っているのは目にみえているのではないでしょうか。どう転ぶか予想できないのではなく、予想できたとしてもそれに対する対処など意に介する必要性が無いと思っているのだと思います。 あと、真摯の意味に関しては、穿違えているのではないでしょうか。真摯とは、熱心にまじめに、対象を思うことを指すはずです。貴方の態度は、熱心に相手を思いやっているとは考えにくいです。その点に真摯という言葉は、合わないのではないかと思いますが、いかがお考えかお聞かせ願いたく思います。 ずっと疑問に思っていたことなのですが、失礼だとは思いますが質問させてください。応える必要性が無いとお思いでしたら、お答えにならなくて結構です。 貴方は、あまり社交的な人間ではないのではないでしょうか。どちらかといえば、己の属性、またはある一定の小集合内でのみ生活している方ではないかと思います。理由は、かなりご自分に自信があること。ならびに、様々な価値観。稚拙なものから高尚なものまで。それらに触れた経験が少ないような仰りようが多い、と私が感じたことです。 意味がないかもしれませんが、この世の中には、貴方の価値観だけが生きているわけでは有りません。ましてや、この世に正しい価値観なんてあるわけがないのです。あらゆる点からみても完璧な、例外のないものなんてないのだと思います。だからこそ、見識的な人たちは、それに対して考慮を示すから大多数の人に賛同されるのではないでしょうか。 JING |
上の文章ですが、削除したほうがいいかもしれません。はっきり言えば、せん無き事を申しております。 貴方は、ご自分からをして”芸術の僕”と称されておいでですが、私も別の意味でそうかもしれません。15年という短い期間ですが、今も演劇を続けています。もちろん、そこで貴方たちとは違う、言葉の重要性も学びます。 あなたは、随分現代にこだわるようですが、これは私の意見でないのが残念ですが、とある劇作家さんの意見です。 『今の文学や、言葉なんて、清少納言や紫式部、古くは聖徳太子、新しければ太宰治。その辺から見たら、クズなんだろうね。なんでかといえば、文章表現も漢語表現も、あの頃使われていた下民の文化が今残っている。僕は、自分がいい作品を書いたときいいなぁ、と思うけど、昔からしたら、クズみたいな文法を使った下民の文章。未来から見れば、こんな難しい表現や古臭い表現を使った文章。まぁ、その程度なんだろうね』とのことです。 実は、私は当時自分の実力を過信し、かなり不遜だったと思います。それが、現代というあまりに狭いものを見つめていた自分が悪い、と気が付いたのが、上記の発言を聞いた時です。だからこそ、貴方の価値観は、貴方の中の現代では認められるでしょう。しかし、ここの掲示板にあるものが、もしかしたら未来という現代で認められる芸術の可能性だって少なからずあるのです。 それを考えればこそ、または、直感的に感じているからこそ、ここの人たちは文句を言わずに、あまりに内容が伴わないもの以外は容認し続けているのではないでしょうか。 JING |
▼JINGさん: > 上の文章ですが、削除したほうがいいかもしれません。はっきり言えば、せん無き事を申しております。 > 貴方は、ご自分からをして”芸術の僕”と称されておいでですが、私も別の意味でそうかもしれません。15年という短い期間ですが、今も演劇を続けています。もちろん、そこで貴方たちとは違う、言葉の重要性も学びます。 > あなたは、随分現代にこだわるようですが、これは私の意見でないのが残念ですが、とある劇作家さんの意見です。 > 『今の文学や、言葉なんて、清少納言や紫式部、古くは聖徳太子、新しければ太宰治。その辺から見たら、クズなんだろうね。なんでかといえば、文章表現も漢語表現も、あの頃使われていた下民の文化が今残っている。僕は、自分がいい作品を書いたときいいなぁ、と思うけど、昔からしたら、クズみたいな文法を使った下民の文章。未来から見れば、こんな難しい表現や古臭い表現を使った文章。まぁ、その程度なんだろうね』とのことです。 > 実は、私は当時自分の実力を過信し、かなり不遜だったと思います。それが、現代というあまりに狭いものを見つめていた自分が悪い、と気が付いたのが、上記の発言を聞いた時です。だからこそ、貴方の価値観は、貴方の中の現代では認められるでしょう。しかし、ここの掲示板にあるものが、もしかしたら未来という現代で認められる芸術の可能性だって少なからずあるのです。 > それを考えればこそ、または、直感的に感じているからこそ、ここの人たちは文句を言わずに、あまりに内容が伴わないもの以外は容認し続けているのではないでしょうか。 JING 私は貴方が引用した言葉をそうだとは思わない。現代芸術の素晴らしさというものをご存知でしょうか。私は紛れもなく現代を生きていて、平安京に住まうわけでも、月のコロニーに住まうわけでもない。何故に現代の文化を否定出来ましょうか。そういった現実逃避的な思想は好まない。勿論私は過去も未来も心惹かれます。所謂クラシック音楽と呼ばれるものが好きだし、大宇宙の未来に思いを馳せる。ですが私が生きているのはそのどちらの世界でもない。 「下民の文化が残っている」という発言は、明らかに階級差別じゃないですか。それに共感出来る貴方は不勉強だと申し上げる他がない。そんな懐古主義的で逃避的な発言など、あまりに無粋でしょう。 芸術の価値なんてものは時代によって違う。ですがね、今芸術でないものは芸術でない。未来のことなど考えたって際限がないし、答えが出ない。未来芸術になるかもしれないなんて訳の分からない杞憂などしたとて、なんの意味もない。現代という狭い世界と仰る。ですがその狭い世界に住まうことをお忘れなきよう。 |
時世という観点なら、貴方の意見におおむね賛成です。しかし、芸術というものは時世すら超越する素晴らしさがあるということです。あと、随分と素直に受け止めることが出来ないようですが、別段この方はご自分を卑下しているわけでも、現実逃避しているわけでもないお思いますよ。ただ、自分を過信することなく、より正しくこの人なりに見つめようとしているのだと思いますよ。ただ、それが、貴方の視点とはかなり違う、この方は歴史的意義や、歴史的に残そう。とは思っていないでしょう。が、芸術の観点を一点で見つめようとはしていないだけではないでしょうか。かなり老齢の方で、残念ながら目が不自由になられたため、この方の作品を再度読むことは叶わないかと思いますが、この方の作品は、いえ、今様々な人に受け入れられている芸術は、現代でありながら現代にないものがあると思います。それこそが、芸術ではないだろうか。と、私は考えています。 下民、が不勉強と仰るならば、今の日本史教育は、不勉強な人間が作っているのでしょう。歴史の事実は、事実です。当時"下民”と呼ばれ、さげすまれていた人たちの文化が確実に今世に残っているのです。あの時代からすれば『下民文化』なんら不適切な表現ではありません。不適切だと考えることこそ、不勉強だということをお知りください。歴史には正しい表現が伴わなければなりません。当時の表現が誤りだから、正す。不平等だから正して教育する。などということは起こり得ません。なぜならば、『下民文化』も、部落差別も、すべてが事実。事実を事実として教え、事実として伝える。なぜ『下民文化』と、呼ばれたものが残ったのか。と、考える視野を持つことが、正しい視点ではありませんか? 今、芸術でないものが芸術でない。ならば、死んでから芸術と呼ばれた人たちは何なのでしょう。今の人たちが、間違えて認識したのですか?そうではないはず、当時の人たちの凝り固まった観点から解放された、現代の人間が、その素晴らしさを芸術としただけです。つまり、現代の凝り固まった観点にいることが、意味がないということです。 別段狭い世界に生きているのではないと思います。時代という数直線の中の一点にたまたま、私が生まれた。その程度だと思います。現代と未来と過去はある一定の時間軸の中に重なることなく流れとしてある。と、残念ながら教科書の引用ですが、現代、未来、過去は別々ではありえない。決して狭い世界に生きているのではなく、幅として短い部分にいるだけです。確かに未来はわかりませんが、過去はわかり、その幅は瞬間ごとに広がる。私が問題としているのは、その過去の広がりを考えず、学ばない点が”狭い”ということです。 JING |
少し申し上げなければならないことがあるようです。 普通、インターネット上で議論をすることってあまり多くありませんよね。私はどこかの会議室とか、教室とか、或は酒場やファミリーレストランや、公園なんかでします。討論、議論は相手の顔をみてするものだと思います。そして口を使ってする。文字だけで思ったこと全てを伝えようと思ったら、もう少し大掛かりなことが必要になる。それこそこんな掲示板でするのではなくて、それ専用の、野次馬がいないようなところでなくては。 しかもインターネット上の議論は意図が必ずしもちゃんと伝わるかと言えば否である。私は少なからず狡猾なところがあるから、少し横暴かもしれぬとおもったとしても、構うことなく否と思えば否と言う。普通の議論だったら、私の場合はとても口調が優しいので、相手を説得させることも容易です。同じように否と言ったとしても、会議室でするものとインターネット上でするものとは大きな差が生じてしまう。何故なら人は相手に否と云われることを好まないからです。だからインターネット上の議論は白熱はするが、温度の高い議論とは言えない。空元気と言うか、内容がない議論になってしまう。それに私も少しでも否と思うと相手に問うてしまいたくなる性分なので、貴方のように「揚げ足取りだ」と仰る方も、インターネット上では多い。 ですがね、「揚げ足取り」というのは、例えば私の述べたことに言葉の間違えた使い方があったからとか、そういったことを指摘する事を言うのです。調べて頂いたらすぐにご理解頂けます。私は揚げ足取りをしていない。 自信過剰に見えるのは、これがインターネット上の議論だからだと思いますよ。こちらからすれば、貴方の方が自信過剰に写るし、私を陥れたいという魂胆も見え隠れする。それは構わないのですがね。 秘境に移るかもしれない。ですがね、本当のことを申し上げれば、そもそも私がここで発言する立場ではない、というのは、些か欺瞞ですよ。では誰がそういう立場を所持していて、誰が持っていないのか。発言する資格がないとか権利がないとか仰る方は多い。では誰がその資格や権利を与えるのか。そんな誰かなど居ないのです。発言するのは自由ですから、申し上げたいことがあれば申し上げたらいいし、仰りたいことがあれば仰ればいい。はっきり申し上げて、その立場ではない、と仰る権利、発言する自由を侵犯する権利はないんです。でもそう発言する自由もあるわけですから、結局は堂々巡りです。 貴方の目には私が天邪鬼に写っているようだ。はっきり申し上げれば、否です。私には『皆が』という団体主義的な思考様式がない。私がそうだと思えばそうだし、違うと思えば違う。これは一般社会から切り離した思考様式なんです。私は社会の中に存在しているとは思っていない。私は私であり、ほかの誰でもないのです。ですが勿論、私は東京に住んでいるし、人に会わない日などない。社会に生きてはいますけれど、私は私以外の人の脳と共有した脳を持っているわけではないので、私は「私が思ったこと」を優先させます。概ね私にとって得になることを実行します。得になるというのは「得になるだろうと思われる」ということになります。 掲示板が「切磋琢磨する場所だ」と仰る方もあれば、貴方のように「切磋琢磨する場所ではない」と仰る方もある。それは掲示板を使用する人間の自由です。けれども読むことが出来ない文章を投稿する人は、先ず文章の書き方を覚えてから書いて頂きたい。そして読むに値するものを書いて頂きたい。「値する」というのは私の主観です。皆に取ってそうかはわからないが、私は読むに「値しない」ものを載せるのは否だと思っている。 しかしね、何でも賞賛すれば良いというものではない。批判を受け入れる余地のないものは掲載すべきではない。高品質の作品を作るための掲示板でないのは是でしょうが、読まれることを前提としていない、文章になっていない文字列を投稿すべきでもない。 議論を好むからこそ、否だと思ったものは否と言う。相手の非ばかりを突いているように思うのは、それだけ私が是とは思わぬ意見と掲載しているからです。是と思うものには「最もです」と言っている。そんなことはみればわかる。相手の非を討つことが即ち揚げ足取りではないということは、辞書を引くまでもなく明白なことです。だったら違うと思ったことを指摘するだけで揚げ足取りになるのだから、貴方こそ大層揚げ足取りでしょう。 甘くない環境というのは、自分が納得するまで議論するということです。勿論他者からの非難を真っ向から受け入れ、もし否と思うものがあれば、また問う。その姿勢を保てる環境のことです。議論に於いては徹底して納得出来る環境を創り出すべきです。 間違えている点を自らが気付くことなど、稀です。指摘されて初めて気付く場合も多い。何故私は貴方の間違いを貴方が自ずと導き出せるような配慮をしなければならない。私は貴方の師ではない。そして貴方は私の師でもない。そういう配慮は無要です。無意です。多分議論の果てに据えているものが、貴方と私では違うのでしょう。貴方は方法論的な議論、技術主義的な議論をなさるようですが、私は議論の果てに真理を求めるのです。 貴方の目には私の発言と行動が一致していないように写るようですが、そういう認識は全く無い。私はちゃんとした文章を載せるべきだ、と思うし、申すけれど、そうしなければならない、とは申せない。何故ならそれは載せる人の自由だし、その自由を侵犯する権利を持っては居ない。だけれど私はそういった輩を蔑むことは出来る。或は閲覧しなければ良い。 否、やはり未全に防ぐことは出来ない。出来たとしたら、たまたま予想していたことが当たった、ということだろうし、それを応用することは出来ない。勿論そういったこと、未全に防いだとおもわれるようなことは日常的にしますけれど、必ずしも毎回そうなるとは言えない。 私は真摯に相手の意見に答え(応え)ています。貴方こそ、真摯という言葉の使い方を限定していませんか。また解釈の仕方に多様性を持たせるべきかもしれませんね。 貴方の邪推は、概ね図星を突いてひるませたいと云う意図があるようですが、残念ながら全く当たっていない。 私はとても社交的な人間でね。貴方こそ世間が狭いのでしょうね。私の実生活を知る由もないのだから仕方がないことです。もし宜しければ、実際の世界で会ってお話し致しませんか。 世の中に正しい意見がないからこそ、己の考察を高め、考察に考察を重ね、自らがどこまでも納得出来るものを、希求するのです。だからこそ現時点での考察を正しいと『仮定』するのです。 大多数の人間に受け入れられることが即ち正しいとは言えない。何故なら少数者である同性愛者が正しくないことになってしまうからです。見識人が大多数の人間に受け入れられているように写るのは、そもそも見識の意味をご理解頂いていないからではないですか。見識人とは即ち、常識に疑問を投げかけることが出来る人のことです。常識では同性愛者は間違いだという社会が、今でもある。それに疑問を投げかけることの出来る見識人は、逆に疎まれますよ。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: すみません。私の文章を読んでいただいているのでしょうか、なにぶん微妙な、別段私が声を大にして述べたい部分をあまり見ていただけないように思えてしまうのです。 例えば、私は貴方を『非ばかりをおうちになることこそ、揚げ足取りではありませんか。』と申しました。別段、相手の意見に否と応えることが揚げ足取りになるとは一言も言っていないように思いますが、どこかで申したでしょうか。確認する時間が有りませんので、もしあるのなら、ご指摘ください。 さて、どの点から言えばいいのか解かりませんが、ここで、この場を打ち切るのでしたら無為なので、致しません。 実際に会うことに関しては、まったく依存ありません。ただ、なにぶん私は一介の高校生ですので、あまり遠出はできませんし、経済的余裕もありません。かなり時間がかかってしまうと思います。 JING |
▼JINGさん: >▼パン屋さんでナタデココさん: > > すみません。私の文章を読んでいただいているのでしょうか、なにぶん微妙な、別段私が声を大にして述べたい部分をあまり見ていただけないように思えてしまうのです。 > 例えば、私は貴方を『非ばかりをおうちになることこそ、揚げ足取りではありませんか。』と申しました。別段、相手の意見に否と応えることが揚げ足取りになるとは一言も言っていないように思いますが、どこかで申したでしょうか。確認する時間が有りませんので、もしあるのなら、ご指摘ください。 > さて、どの点から言えばいいのか解かりませんが、ここで、この場を打ち切るのでしたら無為なので、致しません。 > 実際に会うことに関しては、まったく依存ありません。ただ、なにぶん私は一介の高校生ですので、あまり遠出はできませんし、経済的余裕もありません。かなり時間がかかってしまうと思います。 JING そうでしたね。ですが「非をうつ」ということが、相手を非難する、あやまりや欠点を指摘する、というような意味で使用していたのですが、それは相手の意見に否ということと殆ど同義なのではないかという解釈に因るのです。 どちらにお住まいですか。私は東京に住んでおりますが。それにあまり高校生というのは関係ないのではないでしょうか。 |
まず、真剣語り場への移転大変感謝致します。 議論とは離れてしまうのですが、最近のパン屋さんでナタデココさんの返信を見ていると、何か「疲労感」のようなものが漂っているのが感じ取れます。大変なお仕事をなさっている方のようですが、お体のほうは大丈夫でしょうか?僕のような高校生は疲労と言っても社会人に比べたらその辺に落ちている小石のようなものですから、ポイポイと返信をしてしまうんです。 議論が本題を離れすぎてしまったんじゃないかな、と僕は思います。そうなってしまうとグダグダになっちゃって何がなんだかわからなくなってしまいます。挙げ句の果てには、個人の人格を否定するような発言が出てきてしまうのです。頭に血が昇った状態での議論は不安定な物になりがちです。議論する者として抑えなければいけないのはわかります。でも、みんな人間ですから揚げ足を取られたり、詭弁で押し通そうとされてしまうと頭に来ちゃうんですよね。 自分が書いた返信に詭弁のために揚げ足で返されたりすると、相手にしても無駄だなと思ってしまうか、自分も揚げ足で返してしまうと思うんです。後者になってしまうと、もう最悪ですよね。 そう言っている自分もこの一連の議論を見ていてPCの前で相当頭に血が昇ってました(笑)言葉にトゲがあるかもしれませんが、別に個人を攻撃しようとかそういうことを思っているわけじゃありませんよ。 僕は頭の良い高校生ではないので、学者さんやパン屋さんでナタデココさんのような方の議論というのがどういうものかはわかりませんが、議論というのは意地でも相手を説き伏せようとするものじゃないと思うんです。議題に対してお互いの意見を述べ、お互いに相手の意見を考慮し、互いの意見の良いところ、悪いところを並べていくことなんじゃないかな、と僕は思うんです。「考慮」という面で少し欠けていたと思います(僕も含めて)。 えっと、僕が勉強家とおっしゃりましたが(皮肉で言ったのかもしれませんが・笑)、そんなことはありません。自国語の日本語すらちゃんと使えない、教師や学校に疑問を持ち、それをペーペー教師や校長にぶつける「今時」の高校生です。まぁそんな僕でも、詭弁とは何ぞや、どれが詭弁なのか、くらいはわかりますが。 というか、僕も本題とは関係ないことをここに書き込んでいますね・・・。まぁ本題に関しての返信は「Hな話」でさせていただきました。それに対しての返信ありがとうございます。 ここなら思い切り議論できるんじゃないかな、と思います。僕も暇がある限り参加させていただきたいと思っております。 おっと、長くなってしまいました。未熟者ですが、よろしくお願いします。 |
▼優さん: そうですねえ。私の仕事は疲れるのは口とてと頭位なものです。ですから身体の疲れなんてものは、貴方のような高校生程もないんですよ。 私はね、実は揚げ足取りをしていたつもりは全く無いんです。ただ単純にここは違うのではないか、これはこうなのではないか、と問いかけていただけなんです。ですから私は冷静さを欠いていない。頭に血が昇ることもないんです。私はとても気が長くてね。だけれど捲し立てるように話すから相手を怒らせてしまう。 議論はね、実は相手を説き伏せてなんぼだったりするものなんですよ。私がするような議論と云うのは、一番上に『本当のこと』というのがあるんです。そしてその『本当のこと』を疑うんです。それは嘘なんじゃないか、とね。そしてその『本当のこと』が本当なのか嘘なのか見極めるために、論理的で数学的な議論の構築を言葉のみで行なっていくのです。論理的で数学的というのは、自分の中でだけ通用することではなくて、相対的に、客観的に、誰がみても納得出来るようなものでないと行けません。ですが「誰がみても」というのは、実はとても曖昧なんです。だって私は私以外の人間にはなれませんから。ですから、自分で構築した考察を相対的で客観的であると「仮定」します。自分の考察が間違っていないと「仮定」するのです。ですがそれは飽くまでも私の頭だけでのことですから、私以外の人間「他者」の考察と私自身の考察とを照らし合わせます。そして符合しない点、違っている点を質問するのです。 >えっと、僕が勉強家とおっしゃりましたが(皮肉で言ったのかもしれませんが・笑)、そんなことはありません。自国語の日本語すらちゃんと使えない、教師や学校に疑問を持ち、それをペーペー教師や校長にぶつける「今時」の高校生です。まぁそんな僕でも、詭弁とは何ぞや、どれが詭弁なのか、くらいはわかりますが。 では詭弁とはなんだと思われますか。実は私は詭弁者ではない。しかしながら、「他者」にとって、詭弁として写るであろうことを知っています。詭弁であり得ることを知っています。ですが、自らの論理的な考察を詭弁とするわけにはいかない。詭弁とは即ち「もっともらしく見せかけた虚偽の論法」なのですから。 |
アホにつける薬無し。以上。パン屋は他者を気分害するのが得意みたいで。もう反論も返事もしなくていい。来ないで下さい。 |
僕もまささんと同意見。このスレの高校生君の意見の中で、「私は気が長くてね。頭に血が上ることはないんですよ」云々と返信しているが、これは真っ赤な嘘。僕は僕が書いた作品の事を「排泄物」とまで彼には言われ、「利用価値は肥やし程度」などと酷く罵られました。その状態で果たして頭に血が上ってないなんて堂々と言えるものでしょうか。まさにアホに付ける薬なし、の名言どおりだと思います。 |
まさだけにまさにかぁ(o^-^o)夜光虫さん上手い!冗談は置いておいて、あまり深く考えない様にね。俺は夜光虫さんの作品また読みたいよ。頑張って作品仕上げてみんなを喜ばせて下さいな(≧▽≦)ゞ |
▼まささん: >まさだけにまさにかぁ(o^-^o)夜光虫さん上手い!冗談は置いておいて、あまり深く考えない様にね。俺は夜光虫さんの作品また読みたいよ。頑張って作品仕上げてみんなを喜ばせて下さいな(≧▽≦)ゞ そんな幼稚園児みたいな冗談で笑わないで下さいよ。それに夜光虫だか夜尿症だかは冗談のつもりで書いたわけではないでしょう。だって一番下の行で書いてあるじゃない。 |
▼まささん: >まさだけにまさにかぁ(o^-^o)夜光虫さん上手い!冗談は置いておいて、あまり深く考えない様にね。俺は夜光虫さんの作品また読みたいよ。頑張って作品仕上げてみんなを喜ばせて下さいな(≧▽≦)ゞ ありがとう、まささん。 まささんも気付いたと思うけれど、「パン…」は、議論はしても、自分の文章に誤字脱字がないかどうかまできちんと確認してから「送信」ボタンを押していないから、その事から考えても「いいかげん」な性格であろうことは充分分かるね。頭に血が上ったとしても、議論に身が入っていない。そんな態度で臨む奴に構うのはもうやめよう。時間の無駄だからさ。 |
▼夜光虫さん: >▼まささん: >>まさだけにまさにかぁ(o^-^o)夜光虫さん上手い!冗談は置いておいて、あまり深く考えない様にね。俺は夜光虫さんの作品また読みたいよ。頑張って作品仕上げてみんなを喜ばせて下さいな(≧▽≦)ゞ > >ありがとう、まささん。 > >まささんも気付いたと思うけれど、「パン…」は、議論はしても、自分の文章に誤字脱字がないかどうかまできちんと確認してから「送信」ボタンを押していないから、その事から考えても「いいかげん」な性格であろうことは充分分かるね。頭に血が上ったとしても、議論に身が入っていない。そんな態度で臨む奴に構うのはもうやめよう。時間の無駄だからさ。 貴方も嫌らしい人ね。誤字なんていうのはさ、気付かないことなんて幾らでもあるの。あなたは人の誤字まで突かないと、私のこと傷つけられない位頭が悪いわけでしょう? 貴方は普通にしていたって議論なんて出来やしないのだからコメント掲載しないで下さい。 |
これはスレ主を肯定するわけじゃないけど、誤字を指摘するのは意味のないことじゃないかな。このスレはそういうことを言ってるわけじゃないし(おれも書いてるから同じだけど)、間違ってても読みとれたらそれでよくない?そんなこと言ってたら地方の言葉とかどうなんの?間違いだらけ?間違いではないよね。そういうことだと思うな。 もう一つ。挑発的な態度はおれはめっちゃ好き。そうでもしないと盛り上がらないしね。逆にさ、"こいつ挑発的だな"って思ってるやつのほうががきだとおもう。おれはね。 だってさー、大人ならそんなの軽くスルーだよ。流せないのは、"おまえが"がきだからじゃん。 |
私はね、誰かを否定したいわけではありません。 ただ単にオナニーがしたいだけなのです。 |
▼夜光虫さん: >僕もまささんと同意見。このスレの高校生君の意見の中で、「私は気が長くてね。頭に血が上ることはないんですよ」云々と返信しているが、これは真っ赤な嘘。僕は僕が書いた作品の事を「排泄物」とまで彼には言われ、「利用価値は肥やし程度」などと酷く罵られました。その状態で果たして頭に血が上ってないなんて堂々と言えるものでしょうか。まさにアホに付ける薬なし、の名言どおりだと思います。 自分が書いたものを酷評されたからって不適当なことを仰らないで下さいよ。貴方は私のことをご存知なんですか? もし小説家が頭に血が昇って血管がぶち切れるようにならないと「排泄物」だとか「利用価値がない」だとか言えないのなら、世の中の小説家の書いたそれはとても平和なものですね。人はね、全く穏やかな心でも、書く文章のなかでは鬼のように怒ることだって可能なのですよ。貴方は中学生だろうから感情のままに文章を書くことしか出来ないだろうし、自分で書いていて興奮してオナニーするような下衆だからわからないやもしれませぬが。 でもね、貴方の書いた文章に対しては、正当な評価でしょう。あ、でも私は貴方の作文を読んだかどうか定かじゃない。だから貴方への返信は貴方の書いた作文の評価ではなかったはずです。でも勝手に勘違いして的外れなことを仰る輩の書いた作文だから、やはりそうなんだと思われます。 私は貴方と違って冷静なままで居られるのでね。中学生は早く寝た方がいいよ、ママンが朝起こしに来た時辛いでしょうから。 |
あれ、貴方小説書いていないじゃない。もしかしてハンドルネームを変えて何かほかの作文でも書いていらっしゃったの? 検索で出て来た体育のときのお話を読む限り、やはりもう少しお勉強なさった方が……とは思うけれど。もしかしてこうたさんでしょう。少年のちんちんは6cmぐらいだったって作者でもないのに応えているところがある。 |
色々間違えてないと思うんだけど ここは自分の掲示板では無いという事。質の問題もそれは読者が決める訳じゃなくて 管理人が決める事。それで十分やないんですか?確かに意味解らない文章もあるりますが それで楽しんでいる方もいるとすれば興味もたなくていいだけで否定するのは間違えてると思います。それは管理人が決めてすれば良いと思うし いらだちを感じるんなら管理人に伝えたほうが良いと思います。俺はあまり賢い訳やないし 難しい言葉も解らないですけど、やっぱり皆が迷惑とこれだけ言われてるんであれば自粛したほうが良かったんではと思いました。俺は結構拙い文章が共感持てたりしたんで楽しかったですよ。だってこの掲示板自体年配向けやないですから 年配向けに作ってあるんなら問題ですけど大半が二十代前後の話が多いんで あんまり高度な文章だと伝わりにくいのでは無いでしょうか? 俺は自分を誇示するかたより読み手にとって分かりやすいまたは共感出来る文章を作ってくれる方のほうがよっぽど素晴らしいんじゃないかなと思いました。何か共感出来る点も沢山あるし言いたい事もわかりますが やっぱり否定するのはおかしいと思います。共感は出来ますがやり方はやっぱり間違えてるんだと思います。 |
▼まささん: >アホにつける薬無し。以上。パン屋は他者を気分害するのが得意みたいで。もう反論も返事もしなくていい。来ないで下さい。 孤独なんだろうね。 パン屋さんの書き込み読んでると可哀想に思える。 |
▼ばいさん: >▼まささん: >>アホにつける薬無し。以上。パン屋は他者を気分害するのが得意みたいで。もう反論も返事もしなくていい。来ないで下さい。 > >孤独なんだろうね。 >パン屋さんの書き込み読んでると可哀想に思える。 精神科医気取りの不適当な発言は控えて下さい。可哀想に思えるからなんなんですか。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: >▼ばいさん: >>孤独なんだろうね。 >>パン屋さんの書き込み読んでると可哀想に思える。 > > 精神科医気取りの不適当な発言は控えて下さい。可哀想に思えるからなんなんですか。 可哀想しか言葉が浮かんでこないよ。 |
結局私も挑発に乗って不適切なコメントを掲載してしまったけれど、私は折角ここへ移動して来たのだから、もう少しまともな議論が出来る方はいらっしゃらないのですか。なんだか詰まらない。まささんと夜光虫さんには申し訳ない返答をしてしまったけれど、そもそも「真剣語り場」で「H話掲示板」投稿作品の質の向上について話し合いたいのだから、興味がない方はコメントを掲載なさらないで頂きたい。 |
日本全国のいろんな人が書き込む掲示板なんだからさ、 文才がなくても良いじゃないか。 うまいプロットが練れなくても良いじゃないか。 あなたの気に入るような文章を書けなくても良いじゃないか。 そんなこといってるとさ、掲示板が廃れちゃうよ?プロの作家が居るわけでなし。 少なくとも俺は、良いと思えた文章があったんだからさ、たぶんあなたが貶してるものの中にも。 自分の好みの文章だけを掲示板に求めるなんて、おこがましいと思わないか? |
僕も、質の向上目指して掲示板の書き込みが減ったり、誰かが書く度に批評や非難とかが書かれるような掲示板になるのは嫌です。 |
勿論あなた方が仰りたいことと云うのはよくわかります。でも敢て申し上げたかった。でもそれも無駄なようでした。私から申し上げられることと言えば、あなた方はとても甘い環境がお好きなようだ。何事もない環境がお好きなようだ。そういうのは「事なかれ主義」といって、私達は忌み嫌うのです。なぜならそんな世界は実はないからなんです。 私は本当は興味が無いものは読まなければいいと思っている。でもね、稚拙な文章で書かれたものにたくさんの賞賛が寄せられていることが何だか悔しい。何故こんなものに、と思ってしまう。だけれど私があなた方にその趣味の悪いさは気に喰わないからやめなさい、なんてことは、言えないんです。それは解っている。だけれどここはコメントを掲載した人間の一人も特定出来ない場だからこそ、こうして皆様方を不愉快にさせるような文章を投稿した。 そして私はとても討論が好きだから、不謹慎かもしれないけれどとても楽しかった。最初の頃は。今では皆さん同じことしか仰らない。それは詰まらないことです。ですが、それだけ皆さん同じ気持ちをお持ちなら、お呼びでないのはそうなんでしょうね。 |
何のお仕事されてるんですか〜?? |
初めまして。パン屋さんでナタデココさん。 東と申します。 時間があるので私も書き込みさせてもらいますね。 まず、パン屋さんでナタデココさんのもっと質の良い、高貴な文章はないの? という問いですが、ありません、とお答えします。 私はこの掲示板の話はとても面白く、感動的だと思っています。 私も作品を描いた事があります。もしそれを貴方がお読みになったら、 何を言われるのか、想像するだけでも恐ろしいです(笑) だからといって貴方の書かれている文章を見て、実力を推し量ろうとは思いません。私自身未熟さを痛感してますし、同時に自分の文章に誇りを持っているからです。 私もこちらの読者さんも多くの違いはあるにしろ、掲示板の話は楽しいと感じている。 でも、パン屋さんでナタデココさんはそうは思わない。 この違いはなんでしょう? 価値観?感受性?読書量? まぁ違うには違いますね。同じはずはない。 と言っても私の方が読書量は少ないと思います。でも私もカミユやサリンジャー、 志賀直哉、漱石3作、康成、太宰。それなりに読んできています。 違いはストライクゾーンの違いだと思います。 私は貴方の言う稚拙な文章もお気に入りなんです。 稚拙な文章を見て流される。 それが問題だ、とおっしゃられるかも知れません。 流されるのは良くない。 でも、楽しむ分にはいいと思います。 というのも、小説と掲示板は媒体が違うのです。 言ってみれば、TVと新聞みたいな関係でしょうか? 美しいポルノ小説とHな話の掲示板。 どっちがいいのか?と言われたら美しいポルノ小説の方が為になるでしょう。 グリーンマイルを小説で見るか、映画で見るか? 小説と掲示板では求めているものが違うのです。 掲示板ではお手軽に楽しめる。 だからこれだけ多くの人が利用しているわけです。 そして楽しんでる。暇つぶしの人もいるでしょう、感動を求めている人も いるでしょう。 パン屋さんでナタデココさんは最初の投稿で、なんで規則守らなきゃならない の?と言ってましたね。(まぁこれは貴方の投げかけでしょうが) 純粋に楽しんでいる人がいて、その人たちが書き込みを見て嫌な気持ちになる。 そんな事がない様に規則があるんです。(分かっているでしょうが) 自分が楽しんでる文章を面白くないという人がいたら不快に思いますよね。 楽しんでる人の権利を奪わない様にする為なんです(まぁこの話題はいいですね) でも貴方のいう事も分かります。 誰かが言わなければ良い内容の伴った話にならない。(要約しました) でもこれはどうする事もできません。 これは作者が悪いわけではないからです。 さっきのストライクゾーンの話を掘り下げる事になりますが、私はこの 話をする為に、『読書覚の疲労』という概念を使う事にします。 同じ刺激が繰り返されると、感覚が鈍くなる作用です。 感覚としてはアイスを食べた後の水ですか。ぬるく感じます。 小学生の時に読んでいたコロコロコミック。ある時を境に面白く感じなくなります。飽きと違うのは同じストーリーではないのに受け付けなくなる所です。 俺は最近、TVドラマがこれになって見れなくなりました。 みな同じに思えるのです。おそらくパン屋さんでナタデココさんの感覚と 近いはずと考えています。 そうなったら、どうするか。これは卒業しかありません。 作者に訴えてもダメなのです。 少年誌のジャンプ。私はこれもダメになったんですが、作者にもっと高貴な ものを、、と言っても徒労でしょう 作者は作者なりに伝えたい想い、願い、楽しませたいという気持ちがあります。 また需要と供給でどこの部分を攻めれば、多くの読者を獲得できるか?といった 商業面もあります。 ジャンプはジャンプの。COOLにはCOOLの対象があります。 その対象からずれたら、離れるしかないと思います。 寂しいですけど。 終局、最初のパン屋さんでナタデココさんのもっと質の良い、高貴な文章はないの?という問いですが、ありませんという事になります。 これはパン屋さんでナタデココさんにとってで、私とは違います。 確かに構成や表現は、、措いときまして、「稚拙な文章で書かれたものにたくさんの賞賛が寄せられていることが何だか悔しい」とありますが、私は読者の対象を的確に捉え、求められているものを描く、COOLの作家さんの文はその意味で、 質の良い、高貴な文章であると考えます。 果たして今のTV界出版界で、これができる作家がどのくらいいるでしょうか? 私は楽しませる供給と楽しむ需要ができる掲示板って便利だな〜と思ってますけどね。 追記、文章の中で生存権の蹂躙という表現がありましたが、2重の意味で間違っています。まず、言葉の間違い。正しくは生命権と言います。 根拠は憲法13条に求められます。 また仮に生存権(25条)だとすると私人間には適用がありません。 つまり生存権は他人に蹂躙されても(されようがありませんが)罰する事が できないのです。 有名な判例は2つ。三菱樹脂事件と堀木訴訟。 興味があれば調べて見て下さい。 最後に長文失礼しました。 |
貴方への返答を送信したら、元記事が存在しないために出来ませんでした。あれと思ってツリーを見直したら削除されていました。とても長いご意見でしたので、こちらも長いお返事をと思って30分近くかけて書いたのに……と思ったら追記を新たに認めておいででしたのですね。 なので疲れてしまったので返答はしません。貴方の仰ることは最もです。ですがね、芸術家は観客や聴衆、読者に左右されて作品を想像してはならないのです。芸術と云うのは飽くまで作者の何処までも個人的な作業です。ですから、芸術は芸術として意外に存在意義をもたない。芸術という面を除いてしまうと、ゴミ同然のものなんです。芸術は何かに利用されてはならない。勿論此処での作家さんは芸術家せありたいという志をお持ちの方はいらっしゃらないでしょう。ですから私の独りよがりだと思って聞いて下さい。ですが芸術の僕である私からしてみたら、本来崇高な芸術行為である文学というものを無視した表現形態と云うのが鼻についた。中には今後作家として活動出来る可能性を持った作家もいらっしゃった。ですがそれすらも芸術家とは言えない。何故なら読者を意識した書き方をしていたからです。聴衆・観客・読者を意識した創作は邪道なのですよ。私はそう云った創作活動を忌み嫌う。芸術ではない、彼等におもねった恥ずべきものだと。 また、私の誤記の詩的について。何分不勉強なので、有難くご指摘を頂戴致します。ですがね、本質的には私は誤っては居ないのです。問題なのは語義ではない。私は下らない矜持を持ち合わせているので、そう申しておきましょう。この議題とは関係ない。本意ではありません。ですから事実はそうなのでしょうが、根本的には誤った意図が伝わってしまうかというとそうではないのです。 |
おっしゃっていることはよく分かります。 が、良くも悪くもここはそういう掲示板なんです。もっと言うと、そういう需要があるからこそ、その供給として存在している掲示板なんです(というのは言い過ぎな気もしますが)。 芸術的文学として書かれていない文章なんていくらでもあるじゃないですか。ブログもそうだし、それこそここの「体験談」というの自体も文学とはいえませんよね? 要するに、目に触れる文章すべてに芸術性を求めるのはいかがなものか、と言いたいわけです。あなたが嫌っているような文章でさえも、ここでは需要に対する供給として受け入れられることもあるのです。それは良いと思います。みんながみんな芸術を求めているわけじゃないし、芸術的でないと良くないとも思っているわけじゃないんですから。 ところで蛇足ですが、人にはいろんな感性がありますから、何を芸術として認めるか否かでも終わらない議論ができると思います。ピカソの絵についても、未だに賛否両論があるそうです。あなたの思う「芸術」とは本当に「芸術」でしょうか?芸術家の中にも何人か、それを否定する人はいないのでしょうか?それならば、あなたの「芸術」とは単なる好みなのではないでしょうか? |
追記ですが、「小説の形態をとった文章でないと認めない」というのはなんというか、意固地になりすぎていると思います。というか、そんなの掲示板じゃないです。 |
返信ありがとうございました。 > 貴方への返答を送信したら、元記事が存在しないために出来ませんでした。 貴重な時間を無駄にしてしまい、大変申し訳なく存じます。 すみませんでした。 > 芸術家は観客や聴衆、読者に左右されて作品を想像してはならないのです。芸術と云うのは飽くまで作者の何処までも個人的な作業です。 本来の芸術はそうだと思います。 ただ実質は、私は芸術は喰えるかどうかにあると思います。 歌舞伎にしろ能にしろ、本来は神楽であったものが大衆、世俗向け におろされたもので、当時の人からは『はしたないもの』『低俗なもの』 とされていました。 それを練って、練って昇華させて芸術と呼べる域になった。 それだけです。 源氏物語。奥ゆかしい、最高の芸術的作品と言われていますが、内容は素晴らしいでしょうか? 鴎外の舞姫、内容は素晴らしいでしょうか?向田邦子、阿修羅のごとく内容は素晴らしいでしょうか? 文学的には至高です。芸術的には。 まぎれもない小説です。 でも、結論から視ると、、そう、そうなんだの世界なんですよ。 私にはこれらが芸術とは思えない。 これは私は芸術を喰えるか喰えないかで判断する為(眼福にあずかる、教養を得る、心を潤す)です。 貴方と私の審美的関心には違いがあると思いますが、多少小説形式、構造を なしてなくても、内容でカバーできればお釣りがきませんか? その観点をご考慮戴ければ、充分な作品は多いと思います。 もし時間がある様でしたら、『大阪』という作品をご覧下さい。 短編ではありますが、いい作品と私は思います。 > 本質的には私は誤っては居ないのです。問題なのは語義ではない。私は下らない矜持を持ち合わせているので、そう申しておきましょう。この議題とは関係ない。本意ではありません。ですから事実はそうなのでしょうが、根本的には誤った意図が伝わってしまうかというとそうではないのです。 判っています。 ただ作品を仕上げる場合(されていると思いますが)充分な調査、勉強が必要になってきます。 沈まぬ太陽という作品がありますが、この作品の良さは事細かい描写を1つ1つ丹念に調べあげた所にあります。 もし、この中に間違った事実などあれば、その一瞬、一行で価値を下げてしまう事になります。関係者も勿論見ている事でしょうし。 ただ何気なく使った言葉の中にも、もっと深いところがあるという事、 間違いが致命になる事がある事があります。ご存知だとは思いますが、 今一度確認の為、悩んだ結果、追記させて戴きました。 |
私は芸術で喰えるか否かは全く重要なことではないと思っている。芸術はただそれだけで価値があるものなのです。日本の古典芸能は芸術か否か、実は判断がつき難い。しかしながら、そこに当時の民の評価はあまり関係ありません。世俗的な芸術作品というのも沢山あるし、内容が猥雑だろうと、無様であろうと、それは関係ありません。内容は関係ありません。私は恥ずかしながら『舞姫』も『阿修羅のごとく』も読んだことがない。だから何とも言い兼ねるけれど、貴方の芸術に対する評価基準というのが、大分清濁によって判断されているであろうことはわからないでもないような気がします。 例えば『カルメン』なんかだと、貴方は低俗な作品だと仰るかもしれない。『椿姫』や『トスカ』や、その他のオペラやバレエ、その原作になった文学も人間の本質を描いたものが多い。それだけ当時の人に取っては関心が高かったからなのでしょう。その点、現代のオペラは趣が違う。ですが、どちらの時代のそれも等しく尊い。 貴方の対芸術評価基準は、私から申せば不純です。利己的な基準である。芸術は何かを得るための道具ではない。眼福や教養や心の潤いを得るためのものではない。そこを勘違いしてはなりません。勿論、好みに合った絵画を眺めて目の保養になったと思うこともあるし、好みに合った音楽を聴いて耳が清らかになったとおもうこともある。好みに合った言語芸術を読んで精神が高まったと思うこともある。ですがね、芸術は個人の好みに支配されてはならない。好みに合わない、相容れないからと言って、即ち芸術ではないとするのは、あまりに手前勝手な判断です。 私は小説を書いていたのではありません。ですから言葉の間違いの指摘は、皆さんのお好きな揚げ足取りですが、有難くその指摘を受けましょう。不用意だったと仰られればそうとしか言わざるを得ない。不勉強の浅はかな間違いですので。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: > 例えば『カルメン』なんかだと、貴方は低俗な作品だと仰るかもしれない。 ちょっと補足しますが、低俗とは思いません。 高尚だと思います。ただ読んだ後に心に残る様な、身に渡るものでないと、 私には実質的に芸術だとは思えないのです。 形式的には芸術であると捉えていますが。 故に内容が伴っているものであれば、形式的に不備があっても芸術となりませんか という趣旨でした。 >貴方の対芸術評価基準は、私から申せば不純です。 ここに貴方と私の美意識の差異があると思います。 >利己的な基準である。芸術は何かを得るための道具ではない。眼福や教養や心の潤いを得るためのものではない。そこを勘違いしてはなりません。 おそらく、芸術は造る時と造られた後の扱いに違いがあります。 作者と読者の視点と置き換えてもいい。 造る時はとことん孤独で美に追求してもらえばいい。 ただ、世に出されたら、私たちにも美を受け入れる自由、選択の自由がある。 自分の美徳に反するものを認めなくてもいいと思います。 いい作品を見ることで、目が養われる。審美眼が高まる。 自分の好みに合わないものしか取り入れないのは、危険です。 ただ、養われた美感に合わないものを受け入れる必要はないと思います。 画であれば、色彩、構図、背景、プロット様々な要素があります。 それらを総合考慮して、芸術として評価するしないは自分の内の問題です。 一部に納得できない箇所があったとして、全体で感銘できれば、芸術と位置付け ることはできないでしょうか? >ですがね、芸術は個人の好みに支配されてはならない。好みに合わない、相容れないからと言って、即ち芸術ではないとするのは、あまりに手前勝手な判断です。 前に戻りますが、作者が造る時はそうですね。 でも世に出る時は必ず誰かが評価しなければ(されるもの)ならないでしょう。 その後、個人がその作品を芸術か、そうでないか判別する自由があります。 多くの人が感銘しているから、或いは見識人が評価しているから芸術である、 というのは美感の丸投げに他ならないでしょうから。 今ある芸術は多くのふるいにかけられ、残ったものでしょう。 一方、淘汰されたものの中にも素晴らしい芸術があったり、陽の目を見る事の 叶わなかった作品がある事も事実です。 ひょっとすると、この掲示板にある作品も誰かの目に留まり、ベストセラーになり、さらに国などから表彰を得て、芸術的評価を受ける事があるかもしれません。 教科書に載ったりなど。 それを芸術と捉えるかどうかは個人の自由であり、芸術ではないと一蹴するのも 個人の美意識の問題ではないでしょうか? |
パン屋さんでナタデココさんのスレを読んで、文章を書くことも含めて、物事を表現したり創り出したりするのってとても大変なことなんだよなあって改めて感じます。昔、将来は作家になりたいと思ってたけど、ならなくて良かったです(笑)ところで、公の場で自分の作品を発表する時って、みんなに感動を与えていろんな評価や感想を受けたいといった何らかのリアクションを誰もが求めるものだ思うんだけど(僕だけかな?)、本来そうした場合は、真剣に作品作りに取り組まなければならないと思うんです。例えば、知識や経験をたくさん身につけて読む人を引きつけるような文章を書く努力をするとか。全身全霊で仕上げた作品にはそれなりの反応が返ってくるでしょう(中には厳しい批判もあるでしょうが)。中途半端が一番良くないと思うんですよね。公の場ということはいろんな人がいる訳で、その人たちがわざわざ時間を割いて自分の作品を見てくれる時に、中途半端に作った作品では中途半端な反応しかこないし、それに、読む人に対して失礼になるんじゃないのかなって思うんです。ここの掲示板も一応は公の場なので、何か文章を載せる時も読み手に「なんだこれは」と思わせ、「面白い」って感じさせられるような文章作りをちょっとでもいいから頑張ってみるといいのではないでしょうか。話の中身が事実か空想かは関係なく、ただありのままに話を書くよりも、読む人がもっと興奮するような文章構成を考えてみる努力をみんながすれば、Hな話ももっとエッチで面白いものになるのではとちょっと思ったりします。パン屋さんでナタデココさんの意見に100%賛同という訳ではありません。でも、みんなが良いと思っていることに正面きって疑問を投げ掛けられるくらい信念を持った強い人なんだなあとは感じます。そんな人を批判する程の力は今の僕にはありません。議論の場なのにまともな意見も出せずにすみませんでした。パン屋さんでナタデココさんを始め、みなさんが納得出来るような結論に到ることを祈っています。 |
伏見憲明さんをご存知ですか。いわずと知れた同性愛作家ですが、彼の小説『魔女の息子』はお読みになりましたか。とても猥雑な部分がありますが、とても文化的で、高尚な作品だと思います。 実はね、ここに掲載された中にも、いくつかなんらかの文学賞に応募すればよいのではないか、と思われるような作品がありました。矛盾しているように思われるかもしれない。ですがね、それすらも読者におもねって書かれたものだ。何が云いたいのか、と仰りたいかもしれない。私はただ、此処で文章を書く方々に、『小説』を描いて頂きたかった。マスターベーションの道具にしかなり得ないものを書いて称賛を浴びて天狗になる下品さが気に喰わなかった。だけれどそれすらも、皆様方の自由であることには変わりない。 芸術に関わる仕事を持つ端くれとして、私は芸術に対する尊敬と敬愛を並々ならないくらいに注いでいます。芸術至上主義だと言い切りましょう。だから何と仰るかもしれない。ですが芸術の僕として、ここでの展開が許せなかった。それも結局は、ただのお節介だし、独りよがりなのですがね。 |
▼パン屋さんでナタデココさん: 初めまして。お名前が長いので、ナタデココさんと呼ばせて頂きます。 まず、一つ、根本的な質問なのですが、自分から見ても体験談掲示板に投稿される作品の中で、表現が非常に乏しい方がいらっしゃいます。ナタデココさんはそのような方を嘆いているのですか?それとも体験談で投稿される全ての作品に対して嘆いているのですか? 以下はナタデココさんが体験談掲示板に投稿される全ての作品の質の悪さをお嘆きになっているという仮定で書かせて頂きました。 体験談掲示板に投稿する作品は小説のように書いて貰いたいと上のレスに書かれておりましたが、それは完全にとは言いませんが、無理だと思います。 文章を書くことに慣れていない投稿者にそれを要求するなんて、まるで絵画を始めたばかりの人に、名画を描けと言っているように思えてしまいます。 また、自分の考えている事ですが、 このような体験談の掲示板に投稿される文章は新鮮さが命だと思います。 ナタデココさんも知っていると思いますが、体験談の掲示板では「続きお願いします」というレスがよくつけられていますよね。 続きを求められた投稿者は初心者であってもそのレスに応えるために、文章を素早く書く必要があるのです。表現が若干露骨気味になるのもしょうがない。でも、逆に露骨さが臨場感を感じさせるような気もします ですが、ナタデココさんが言うような『小説』を書くようなことをし、投稿から三日経ってから続きを投稿するにしても、既に多くの人の関心は新しく投稿された作品に移っているのではないかと思います。また、このサイトは若い人向けなので、小説のような堅苦しい作品を好まない人もいると思います。 話が変わりますが、このサイトの掲示板は投稿すればするほど、作品のスレはどんどん下に埋もれていきます。某体験談掲示板では投稿した作品はログにされ、別のページで個別に保管されますが、このサイトの掲示板に投稿した作品のスレはただ下の方へと垂れ流されていくのです。だからこそ、多くの人に見て貰えるようにページが真新しい内に、文章を素早く書き連ねる必要があるのではないでしょうか。 最後に。このサイトの管理者でもない貴方は、芸術を愛する方であろうと訪問者の一人にしかすぎません。そんなナタデココさんは物申せる立場ではないのですよ。 では、長文失礼しました。 |
▼ポテトさん: >▼パン屋さんでナタデココさん: >初めまして。お名前が長いので、ナタデココさんと呼ばせて頂きます。 >まず、一つ、根本的な質問なのですが、自分から見ても体験談掲示板に投稿される作品の中で、表現が非常に乏しい方がいらっしゃいます。ナタデココさんはそのような方を嘆いているのですか?それとも体験談で投稿される全ての作品に対して嘆いているのですか? > >以下はナタデココさんが体験談掲示板に投稿される全ての作品の質の悪さをお嘆きになっているという仮定で書かせて頂きました。 > >体験談掲示板に投稿する作品は小説のように書いて貰いたいと上のレスに書かれておりましたが、それは完全にとは言いませんが、無理だと思います。 >文章を書くことに慣れていない投稿者にそれを要求するなんて、まるで絵画を始めたばかりの人に、名画を描けと言っているように思えてしまいます。 > >また、自分の考えている事ですが、 >このような体験談の掲示板に投稿される文章は新鮮さが命だと思います。 >ナタデココさんも知っていると思いますが、体験談の掲示板では「続きお願いします」というレスがよくつけられていますよね。 >続きを求められた投稿者は初心者であってもそのレスに応えるために、文章を素早く書く必要があるのです。表現が若干露骨気味になるのもしょうがない。でも、逆に露骨さが臨場感を感じさせるような気もします >ですが、ナタデココさんが言うような『小説』を書くようなことをし、投稿から三日経ってから続きを投稿するにしても、既に多くの人の関心は新しく投稿された作品に移っているのではないかと思います。また、このサイトは若い人向けなので、小説のような堅苦しい作品を好まない人もいると思います。 >話が変わりますが、このサイトの掲示板は投稿すればするほど、作品のスレはどんどん下に埋もれていきます。某体験談掲示板では投稿した作品はログにされ、別のページで個別に保管されますが、このサイトの掲示板に投稿した作品のスレはただ下の方へと垂れ流されていくのです。だからこそ、多くの人に見て貰えるようにページが真新しい内に、文章を素早く書き連ねる必要があるのではないでしょうか。 > >最後に。このサイトの管理者でもない貴方は、芸術を愛する方であろうと訪問者の一人にしかすぎません。そんなナタデココさんは物申せる立場ではないのですよ。 > >では、長文失礼しました。 貴方はそもそも『小説』のなんたるかをご存じないようだ。貴方の発言は無知の為せる業ですよ。 小説のように書いて欲しい、そう申し上げたのは、何も難しい言葉を使って難しく、万人には解り辛いように書けと申しているのはありません。寧ろ逆です。小説というのは形式のことです。貴方は今までに小説を読まれたことがないようだ。其の様な貴方こそ、私に物申せる立場ではない。小説とは日常生活にちょっとした潤いを与えるものだ。俗世間から離れたものではない。たかみではない。小説は、とても身近なのです。それにとても平易な言葉によって綴られた小説も沢山あるのですよ。 名画。ほう、貴方はやはり、小説というのは、昔の偉人達が認めた、いわゆる『純文学』を指したいようだ。名画を描けとは言っていない。習いたてには習いたての絵を描けば良い。なにも小難しいものが即ち良しではないのです。ですが、ここの掲示板にかかれたものは、ただの覚え書きのようなもの。読ませようと思うなら、それなりの形式に仕立て直す必要がある。文章の書き方も知らぬ輩が何を書いたとて、わたしにとっては意味が伝わらぬものなのですよ。 小説なんてものはね、書こうと思えばすぐに続きが書けるもの。もしも実話なら尚のこと、すぐに書き上げられます。或は一度書き上げたものを小出しにすれば良い。 貴方はそもそも『小説』が何かをご存じない。一度『現代小説』をお読みになったらよいのではないでしょうか。 |
貴方の主張を私なりに解釈してみました。もし誤りがあればご指摘願います。 貴方はご自分が芸術至上主義であるからHな話掲示板にも「小説」という芸術作品を投稿して欲しい。こう仰るのですね? 残念ながらそれは難しいでしょう。なぜならば掲示板の投稿者の多くは小説の書き方を知らないからです。 貴方はご自分がひとりよがりであると解ってらっしゃるようだ。それならば少なくとも他人から屁理屈と思われるような文章を載せる前に小説とはこのように書くのだという事を投稿者達にわかるように示してはどうでしょう? そうすれば投稿者達の中から積極的に文章を変えようという者も出てくるでしょう。掲示板の質の向上にも繋がります。 今のまま終りのない議論を続けてもそれこそ無意味ではないでしょうか? …なんちって。 |
みんな、もうこのナタデココとかいう奴に構うのやめちまおう!ウザいよ…マヂで。みていた限りでは多分この掲示板始まって以来初くらいの大論争(?)だったと思うけど、もういい加減、やめよう!サーバーに負担かけるだけだよ。ナタデココも文体がメチャクチャになってきたし、言ってることも批判ばかりでちっとも筋も通ってないし、具体性もない。このままダラダラやってもそのうちナタデココは力尽きるだけだよ。みんなが奴のこと腹立たしいとの思っているのはよく分かるけど、これ以上やってももう意味ないよ。 |
大賛成ー!! |
俺も賛成!!! もうグダグダだしな〜。本人は認めないだろうけど、こっちに移ってからのナタデココの主張は誰が見ても矛盾してるし。何か可哀そうに思えてくる・・。多少は同調しても、奴と同じ立場に立って弁護する奴がいないのがなんとも悲劇的w ここに至っては内容云々は関係ないしな。結局こいつが言いたいのは「バカな奴が投稿したバカみたいな作品が、バカな奴らに称賛されている」のが嘆かわしいってことだろ??周りからすれば「バカな奴が投稿したバカみたいな作品が、バカな奴らに称賛されているのを、バカな奴が嘆いている」ようにしか見えない。こんなこと書くとまた奴がお得意の揚げ足取りを披露してくれちゃいそうだがw この騒動を終わらせるために、パン屋さんでナタデココは自分で終わりを宣言するべきだな!てかしろ! |
▼中華屋で杏仁豆腐さん: 待ってください。確かに、矛盾はあるのかもしれません。でも、もうちょっと話し合えば分かり合えることもあると思うんです。もう少し待っていただけないでしょうか? JING |
コウモリ |
終わりで。 |