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Re(1):カミングアウト
 ジャック  - 10/3/14(日) 9:41 -
カミングアウト 

ゲイリブがよく主張する「カミングアウト」ですが、日本人のホモでカミングアウトしている人間は、まだ少なく、やはりカムアウトという行為は日本の文化風土には馴染まないようです。

日本文化は、互いに自己主張を抑え、代わりに相手の気持ちを察しあうことで円滑なコミュニケーションをはかる文化です。

そのような文化の下では、自己主張の強い人間は当然、嫌われますし、逆に相手の気持ちを察することができない人間は「空気の読めないヤツ」と呼ばれてつまはじきにあってしまいます。

カミングアウトして自分が同性愛者であることを周囲に広言することは、自己主張以外のなにものでもないし、
日本でそれをやってしまうと、ホモフォビアの強い欧米のように反感は受けなくとも、周囲がなんとなく引いてしまい、ヘンにきまずい雰囲気になってしまうと聞いたことがあります。

もっとも、カミングアウトの本場である欧米でも、カムアウトしているゲイは、まだまだ少数派で、クローゼットが圧倒的に多いそうです。

1970年代にサンフランシスコのゲイ解放運動のリーダーとして活躍し、後に政敵により暗殺されたハーベイ・ミルクという有名な活動家が、生前、ゲイ仲間にたいしてカミングアウトすることの重要性を説いていたにもかかわらず、

死んだあと、彼自身は自分の親きょうだいに同性愛者であることをカムアウトしていなかったことが判った、という冗談みたいな本当の話があるくらいです。

数年前、タイのパタヤのゲイビーチで会った、ずっとイギリスで会計士として働き、今はパタヤで引退生活を楽しんでいるという60過ぎのイギリス人から、イギリスに住んでいたとき、自分がゲイであることを隠して生きていて、

それがいかに辛かったかという話をめんめんと聞かされたことがあります。

欧米でも会計士のような堅い職業についている人間はなかなかカミングアウトできないみたいです。


私自身についていえば、やはりカミングアウトするだけの勇気はありません。

同性愛者であることを公言して堂々と生きている人はご立派だと思いますが、自分はそこまでできないし、

またそこまでしなければならない理由も見つからないというのが正直なところです。

ただ、親しい友人には男女を問わず、またホモとノンケを問わず、自分がホモであることは告白しています。

親しい友人には当然、自分がどういう人間か知ってもらいたいし、そのためにはまず自分がホモであることを知ってもらうことが必要ですからね。

あと最近はさすがにそういうことは少なくなってきましたが、若い頃は女性と友達になりたいと思って近づくと、恋人になりたくてすり寄ってきたのか、と誤解されることがありました。

それで女性と友達になりたいと思ったときは、あらかじめ自分がホモであることを告白し、「あなたと男女の仲になりたいと思っているわけではない。ただの友人になりたいだけだ」と断るようにしていました。

これって下手すると、相手の女性が「あたしって女としてそんなに魅力がないのかしら」などとむくれてしまうので、言い方にけっこう気を遣う必要があるのですが、

さいわい、私が友人になった女性たちは、私の気持ちをよく理解してくれて、普通の友人として付き合ってくれました。

あとノンケの友人も一人を除けば、ホモだと告白しても、それで私にたいする態度が変わるようなことはなかったです。

一人だけ態度が変わった奴がいたのですが、あとで別のことで友人になるだけの価値がない人間であることが判り、私の方から付き合いをやめてしまいました。

そういう意味では、友人にホモであることを告白することは、その友人が本物の友人であるかどうか確かめるリトマス試験紙の役目を果たすことになるかもしれません。

次に家族ですが、私は親きょうだいにはホモであることを告白していません。

ただし、親もきょうだいも私がホモであることを薄々勘づいてはいると思います。

いい齢をして独身だし、身辺に女の影も見えませんからね。

それでも向こうはあえてそのことには触れようとはしないし、私も触れようとはしません。

お互い同性愛の話題には触れないというのが暗黙の了解のようになっているのです。

まるでアメリカ軍のDon't Ask Don't Tellポリシーみたいですが、私はそれはそれでかまわないと思っています。

私の親は典型的な日本の庶民で、間違っても「私の自慢の息子はゲイです」などと書いたTシャツを着て、ゲイパレードに参加するような種類の人間ではありませんから。

もちろん、これはあくまでも私の場合に限っての話であって、友人で親にカミ
ングアウトしてうまくいっている例もありますし、親きょうだいに告白するかどうかは、ガンの告知と同様、あくまでもケースバイケースで考えるべき問題だと思います。

話は変わりますが、私は日本のホモが置かれている状況は、在日朝鮮人や韓国人など、在日と呼ばれている人たちの境遇に似ているんじゃないかと思っています。

在日もホモも外観だけでは、普通の日本人あるいはノンケと区別がつきません。

つまり、在日もホモもその事実を隠そうと思えば、隠すことができるのです。

在日にとって通名と呼ばれる日本名を使うことは、ホモにとって自分のセクシュアリティーをオープンにしないことに相当し、

逆に在日が自分の出自を隠さずに本名を使用することは、ホモにとってのカミングアウトに相当するんじゃないでしょうか。

以前、NHKで在日朝鮮人をテーマにしたドキュメンタリー番組を見たことがあるのですが、その番組に登場した神戸に住む在日朝鮮人の中年女性がとても興味深い話をしていたのを覚えています。

彼女は通名(日本名)を使って生活しているのですが、彼女の近所の人も、職場の人間もみんな、彼女が在日朝鮮人であることを知っているのだそうです。

ところが通名でなく本名の朝鮮名を使うと、周囲の日本人との仲がギクシャクしてしまい、コミュニケーションがうまくいかなくなるんだそうです。

それで通名を使うことにしているとのことでしたが、その話を聞いたとき、「なるほど、そういうことか!」とストンと納得できたような気がしました。

つまり、日本社会というのは「あなたも私も同じ人間だよね」という暗黙の了解というか前提に立って仲良くする社会で、
そこであえて朝鮮名を使って自分が異質な人間であることを主張することは、全体の和を乱すことにつながり、それで嫌われるんじゃないか・・・というわけです。

ただ、日本の社会は、表面的にみんなに合わせることを要求しても、個人のプ
ライバシーまでは干渉してきません。

たとえば、その在日朝鮮人女性の本名が金さんで、通名が山田花子だと仮定した場合、家の外では山田花子で通していても、家に帰って元の金さんに戻っていくらキムチを食べても、だれも文句は言わないのです。

日本人のホモにとって、カミングアウトするかしないかがそれほど深刻なテーマにならないのは、ひとつには日本人の行動を規制するのが世間だからで、
世間というのは世間体さえ繕っておけば、プライベートまで干渉してこないのです。

日本人には元々、世間に見せる顔とプライベートな自分を区別する傾向がありますし、その2つを使い分けることに心理的に抵抗がないんじゃないでしょうか。

反対に欧米のキリスト教文化圏では、人間の行動を規制するのはキリスト教の神様で、キリスト教の神様は個人の内面にまで干渉してきます。

で、その神について書いた書物である「聖書」に、同性愛は悪であるとはっきりと書いてあるわけですから、欧米人のゲイには、日本のホモみたいに逃げ場がないんですね。

同じ一神教で同性愛を否定するイスラム教や、キリスト教でもカトリックの場合は、ホンネとタテマエを使い分けることで、宗教上の同性愛の禁止と現実の生活における同性愛的欲求の間に存在する矛盾をある程度、解決するというか、ごまかしているのですが、プロテスタントの場合は、そういう使い分けができません。

プロテスタントというのは、簡単にいうと、16世紀にカトリック教会の腐敗に対する反発から起こった宗教改革運動の結果生まれた、聖書の教えに忠実に生きることをモットーとする原理主義に近いキリスト教の宗派の総称です。

イスラム原理主義もそうですが、原理主義というのは、ホンネとタテマエの使い分けを認めないんですね。

で、プロテスタントの中でも特別に原理主義的な傾向が強い清教徒が新大陸にわたって創った国がアメリカ合衆国で、その結果、アメリカは世界一ホモフォビアの強い国になったわけです。

このアメリカが世界一ホモフォビアの強い国であるという事実こそが、アメリカでゲイリブの運動が起こった最大の要因であると私は考えています。

アメリカのゲイリブ運動の発端は、1969年にNYのグリニッジ・ビレッジのストーンウォールというゲイバーで、度重なる警官による手入れと嫌がらせに対して同性愛者が反撃を開始した、いわゆる「ストーンウォール事件」であるといわれています。

このような事件は、当時、NY州を含むアメリカ全土で同性愛を禁止する法律が存在し、アメリカの同性愛者たちが厳しい差別と弾圧に晒されていたという事実がなければ起らなかったでしょう。

アメリカの同性愛者たちは、ゲイバーという隔離された場所の中でさえも、いつ警察の手入れがあるかわからない状況で、びくびくしながら過ごしていたのです!

ストーンウォール事件が起こった1969年当時、日本にも新宿2丁目界隈に相当数のゲイバーが存在しましたが、同性愛を禁止する法律が存在しない日本では、警察によるゲイバーの手入れなんて考えられないことでした。

ついでにいっておきますと、最近の日本の若いホモの中には、「昔の日本のホモは隠花植物のようにひっそりと人目を避けて生きていた」などという自称ゲイリブ活動家が吹きまくる与太話を信じている人もいるみたいですが、そんなことはありません。

60年代の終わりから70年代初めにかけての新宿は、今では想像もできないような熱気に溢れていて、ホモ、レズ、ドラッグ、なんでもありの解放区のようなところでした。

私なんか、仲通りの真ん中を友達と手をつないで、大声で歌をうたいながら歩いてましたヨ!

日本でアメリカのようなゲイリブ運動が起こらなかったのは、別に日本が遅れていたせいでなく、その必然性がなかったからです。

日本にはアメリカのように同性愛を禁じる法律は存在しませんし、アメリカのような宗教感情に根ざした激しいホモフォビアも存在しないのです。

アメリカの軍隊では同性愛者の兵士を受け入れるかどうかで喧々諤々の議論が沸き起こりましたが、日本では自衛隊がホモの入隊を禁止するなんて考えられないことです。

同性愛に不寛容なキリスト教原理主義と同性愛を含めた性にたいして寛容な仏教的文化風土の違いです。

私は同性愛というのは文化であって、日本の同性愛文化は、その基盤となる日本文化を抜きにしては考えられないと思っています。

同様にアメリカのゲイカルチャーは、その基盤となるアメリカ文化を抜きにしては語れません。

実際、アメリカ人ゲイの自己主張の強さ、闘争心、政治への関わり方などを見ていると、彼らはよくも悪くもアメリカ人だな、という印象を受けます。

日本とアメリカの文化風土は殆ど対照的といっていいほど異なり、そのようなアメリカとは対照的な文化風土を持つ日本にアメリカ流のゲイカルチャーを移植しても根付くはずがありません。

カミングアウトと同様、一時のファッションというか、流行として終わってしまうのが落ちでしょう。

あたり前のことですが、われわれ日本のホモは、ホモである前に一人の日本人なのです。

日本の自称ゲイリブ活動家にいいたい。

日本人としての誇りも持てなくて、なにがゲイプライドだ!

「俺達は日本人ではない」という声が返ってきそうですが・・・


引用なし

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