幸福の定義はひとそれぞれです。
大多数の人達が求める、いわゆる世間体がいう一家団らんの家族の図式「妻をめとり・立派に子供を育て ・まっとうな仕事につき、安心立命な老後を送りそして充実した人生で生涯を終える。」仮に上記のような人生が幸福な形としたら、その定型からずれたひとたちはみな不幸なのでしょうか?
ゲイではなくとも、ヘテロな人達でも結婚しないひとが存在しますし、結婚しても子供がいないひとも存在します。
子供だってきちんと育つかわかりませんし、仕事だってリストラされることもあります。病気や事故で短い人生になるかも知れませんし、いちいちあげたらきりがないが、不幸の種なら枚挙に暇がないくらいいくらでもありますよね。
むしろ順風満帆な幸福な人生のほうが、極めて低い確率ですよね。
君はゲイに生まれたことが、人生の最大の不幸のように思い・遺恨に感じているが、過酷で理不尽で度し難いほどに不平等で運命に翻弄される人生に関して言えば、ゲイであることは取るに足らない不幸の要因のほんのひとつに過ぎないのです。
「ほんとうの幸福」がどこにあるわけではない。
それは青い鳥のように足下にころがっているわけでもないし、あなたの考え方を変えることによって、今すぐにでも手にはいるものですらないのです。
また幸福は君がいう
世間一般の平凡な生活のさりげない側面に隠されているものでもありません。
実はほんとうの幸福などないのです。
あたかも純粋な三角形がこの世にはないように、いつもゆがんだ三角形を見ているように我々がこの世で出会う幸福はいつもゆがんでいるのです。
しかも幸福の定義それ自体がゆがんでいるのです。
むしろ幸福なんというのは存在せず錯覚ではないかとさえ私は思います。
幸福をかんじてもそのあとすぐに遠慮会釈なく不幸の連続です・人生の身の上にどんな災難が降り懸かるかわかりませんものね。
少々まわりくどい話になりましたがゲイだけが不幸とはかぎらないと言いたいだけなのです。
ここに パスカルの有名な言葉を添えます。
「気を紛らすこと。人間は、死と不幸と無知を癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことを考えないことにした」[パンセ]
惨めさ。われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らすことである。しかし、これこそわれわれの惨めさの最大のものである。
要するに人生は欺瞞に満ちているのです。 幸福なんぞどうあがいても手に届かない求めれば求めるほど手からすべり落ちてゆき、
君のように自己を否定し、うす汚い世間体に迎合し、自尊心のかけらもない 幸福を 求めても「ゲイのセクシャリテイを隠して生きる」幸福に到達した途端にその代償として膨大な 自己欺瞞を背負っている自分に気がつくのです。
無理に幸福を装って自分をだまして生きるより、あっさり不幸を自覚して生きる ほうが 潔いとおもう。