男同士の愛は、偽りの愛と考えてます。それ自体に「愛」と言う言葉さえも使うのもどうかと思ってます。 同姓同士の言う、その得体の知れない愛と言うのは、支配欲が大きく関わると思うのです。 それは、俺が同姓同士でいう「愛」を「好意」と考えているからです。 自分には無い"モノ"を持つ同姓を、同性愛者は手に入れたいと言う衝動に駆られます。この場合、異性愛者は諦めがつくものなのですが、同姓愛者の場合は同姓を「愛」しても良い。と言う概念がありますから、その好意を自分のモノへとしようとする支配欲を持ちます。 すなわち、同性愛者の言う、「愛」とは好意そのものに他ならないと俺は思っています。 その支配欲がゆえ、セックスへと導き、そこに自分の創った人物像と異なるものがあれば、好意は無くなるのです。それがいわゆる「ヤリ目」と呼ばれた人達ではないでしょうか?これは、俺の身勝手な思い込みかもしれませんが、この仮設なら全てが証明できると思いませんか? 俺はそう思えてならないのです。 最後に、「得体の知れない愛=好意」と言う俺の身勝手な考えへのご意見ご感想をお願いすると共にくだらない「俺の考え」を最後までお読み頂きましたこと、感謝申し上げます。