▼薬屋シンさん:
おそらく表現が宗教くさいと思います。ただ、摂理に関しては”あるんじゃないかなぁ・・・・”と思っています。元々、尊厳というものがあるなら、何かの基に尊厳が派生したりするわけですから。
宗教くさくなるのは、多面的に物をみようと思ったときに”宗教”を私が学んだせいだと思います。ただ、私は最近出来ているものを本来の宗教だと思いませんでしたので、最近はずっと”原本”の完全な写本だけを読むようにしています。もちろん、”え?”と思うこともあれば”当たり前じゃん”というものもありますが、”なるほど、そういう観点でついてきたか!”と驚いてしまうものが多々あります。ただ、宗教自体がかなり古いものが多いです。私が調べた宗教は『イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、天理教、神道』ですが、最も新しい天理教ですら100年ちかく前のものですし、最も古く言えば、石器時代のアミニズムの集大成である神道まで様々で、歴史的な背景や社会情勢を考えないといけないのかもしれませんが、今の社会に当てはまる点も多々あり、それが摂理のほんの一端になるのかな?と思うことがあります。
天地開闢という表現ですが、”人間という存在が確立されて以来”ですとか、”生物がこの世に誕生してより”なんて長い表現を使うよりも、手っ取り早かったので使いました、つまるところは”初めより”という意味です。ただ、天地開闢という言葉が、仏教、キリスト用語に当てはまるのは否定しません。
”尊厳”が大きいとお考えになっているようですが、私はその『尊厳の基礎。基盤』にあるものから考えない限り、その枝を図ることは出来ないと思います。もちろん、その基盤たるや想像を絶する巨大さだと思いますが、その一端を理解することが必要なのではと考えます。 JING