初めまして、吉左右衛門と申します。以後宜しく御願いします。 死にたい人間には四つのパターンが有ると私は考えます。一つは、目の前に在る課題や悩み等が、自らが処理出来る量を遙かに凌駕していて、パニックになって居るパターン(以後、「イ」とします)。もう一つが、ただ今の現実から逃避したくて死にたいとしているパターン(以後、「ロ」とします)。それに加え、本当に自ら望んで死にたいとする場合(以後、「ハ」とします)。最後は本当に死しか解決策がない場合(以後、「ニ」とします)。 僕はイとロの場合はそれが誰であっても、先ずは止めます。ハとニの場合は止めません。 イの場合であれば、ゆっくりその人の話を聞き、全て死にたい理由を吐き出させ、落ち着かせる事で自ら死を回避させます。ロの場合は、自らが輝いていた、最高だった時を思い出させ、その話を聞いた上で、人生は山有り谷有りで、「その時」の如く幸せな時ばかりでは無いと諭し、自ら死を回避させます。 ハの場合は、例えば永年付き添った御主人が亡くなり、自分は夫に何時までも付き添って生きて行くのだ、と云う信念を持っている方だった場合で、この場合は、夫が亡くなれば自らもぴったりと寄り添い、夫の後を追って死ぬ、という考えの下に、自ら死を選ぶわけですから、これについて僕は止めようとは思いません。何故なら、彼女の判断は、本来人間が持っているであろう「死を選ぶ権利」に基づいたものであるからです。この権利の有無や是非についてはアメリカ等でも随分と議論が重ねられて来ました。アメリカ等でも依然として結論には至っていませんが、僕はこの権利は、(人権が全ての人に平等に有る事から、)各人が持って居るものと考えています。ニの場合は、例えば、現在の治療法では充分な治療をしかね、本人に耐え難い苦しみがあるパターン等です。この場合は、死を以てしかこの苦しみからその人を救う事が出来ないのだから、その唯一残された彼/彼女自身を救う方法である死を選ぶ、という行為を止める事は僕はしません。何故なら、その彼/彼女の幸せを妨げる事は僕には出来ないからです。 以上、僕の考え方を書きましたが、これはあくまでも僕であればどう判断するか、という事であり、薬屋シンさんをはじめとして、僕の考え方を読んだ人に、僕の考え方を押し付けようという性格のものでは決してありません。最後まで読んで頂き、有難うございました。