こんにちは。
レズビアンの牧師のお話を聞かせていただく機会があったのですが、
(けっこういるらしい)菱朗さんの批判はまったく的外れかと。
まず、聖書そのものが今の形で編纂されたのは中世の時代で、イエス・
キリスト自身の言葉から同性愛に関する言及はなかったので、
一概にキリスト教が同性愛を禁じているとは言えないらしいです。
編纂に関わった人が、かなり偏見を持っていたのではないかということでした。
あと、キリスト教の中で「将来は異性と結婚しなさい」なんて聞いたことは
ないとのことでした。
また、レビ記には、同様に、「あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない」「あなたの畑に二種の種をまいてはならない」「二種の糸の混ぜ織りの衣服を身につけてはならない」「豚、これはひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない」「あなたがたは、すべて牛、羊、やぎの脂肪を食べてはならない」と書かれています。
つまり、とんかつも牛の脂肪も口にしてはいけないし、家の庭に2種類の野菜を
植えちゃいけないし、お地蔵さんを拝んでもいけないということです。
キリスト教を持ち出して、同性愛を批判するなら、まずこれらのタブーを守って
からにしてくださいね。
つまり、とんかつを食べながら「同性愛など許されるわけが無いのです」なんて恥ずかしげも無く書くんじゃねーよ!ってことです(笑)
そう、肝心なのは現在です。
確かに、社会的偏見を払拭するのは難しいかもしれません。
しかし、黒人差別も他の差別問題も、同様に議論を重ねて、エンパワメントして
きたのです。もし、正しいと思うことを正しいと言えなくなれば、
人類の進歩はそこで終わるでしょう。
孤立することはありません。同じ仲間も沢山いますし、それを応援してくれる
異性愛者の仲間も沢山います。
菱朗さんは、よく「少数派だから」ということを書かれますが、
少数派の存在は立憲民主主義社会の重要部分なのです。